内容説明
現代の哲学界にあって、全く独自のアプローチを積み上げてきた永井均。永井哲学の最重要キーワードでもある「“私”」について、永井自身と森岡正博が哲学する。“私”、すなわち、「いまここに現にひとりだけ特殊な形で存在している、私の特別なあり方」は決して普遍化できないはずだが、ひとたびそれを語ってしまうと、他者にも適用できる単なる「私」の話となり、本当に言いたかった特別さは消えてしまう。どうすれば私たちは私だけがもつその特別さに近づくことができるだろうか?―独在性の解釈をめぐって、永井と森岡は徐々にすれ違いを見せていく。2人の議論の「噛み合わなさ」から浮かび上がってくる“私”の真相とは?この世の最大の謎、“私”をめぐって繰り広げられるオリジナルでスリリングな知的冒険。
目次
第1部 この本で何が語られるのか(“私”とは何だろうか?(森岡正博))
第2部 実況中継「現代哲学ラボ第2回」(現代哲学ラボ“私”を哲学する(永井均×森岡正博))
第3部 言い足りなかったこと、さらなる展開(“私”の哲学を深掘りする(森岡正博)
森岡論文への応答(永井均)
貫通によって開かれる独在性―あとがきに代えて(森岡正博))
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
へくとぱすかる
50
そもそも、なぜ<私>の哲学に惹かれるのだろう。「あとがき」で、自分が考えていたことと、同じことが書かれている驚きがそこにあるからだ、と指摘(田中さをり氏による)。今まで自分が永井均の著作を集中して読んできた理由を、哲学者側からズバリ指摘されたわけである。<私>のかわりに「独在性存在者」と代入した文から受け取れるニュアンスが全然違うことから、森岡氏の用語の意味するところを必死で考えてみたが、まだわからない。<私>が全く直接にわかるのと対照的である。ここに二人の哲学の差異を見だすべきだろう。これは今後の課題。2022/03/26
ころこ
45
森岡と永井が2015年に行われた対話を基にして、その後に応答をしているのを本にしています。随分経ちましたので本にならないと諦めていましたが、粘り強く本の形にされたことに感謝します。永井お馴染みの〈私〉についてです。第1章は森岡による永井の〈私〉についての要約、第2章は15年の書き起こしとなっています。第3章は①森岡の問いかけ、第4章は②永井の応答、第5章は③森岡の応答となっています。問題は第3章以降です。②の永井の森岡に対する応答が①の全否定となっているからです。両者に問題があると思います。①の森岡は長す2022/01/14
テツ
10
永井先生による〈私〉に纏わるお話を、その〈〉についてのお話を最初に目にしたときに、ガキの頃にモヤモヤしていた何かの欠片が掴めたような気がした。〈私〉についての永井先生と森岡先生のやりとりを眺めながら、ぼくにとっての〈私〉について考える。この宇宙の歴史においてほんの僅かな時間だけ「ここ」から開闢する〈私〉という存在の独自性と不思議さ。〈私〉が「ここ」からしか開いていない、開けることがないということにはどんな意味があるのか。人は何もわからない。きっとわからないまま死んでいく。それでも、わかりたい。2023/01/06
袖崎いたる
5
山括弧の私が気になりだした。永井均の容赦のなさと森岡正博の冒険感。独在性の深度はスピリチュアルの方面で扱われたらどうなんだろうな。とか思う。2023/02/17
なす
1
内容については正直あまり気持ちのよいものではなかったので書きたくない(+まるで理解が及ばず書けない)が哲学とは何かを改めて考えさせられた。学問は問いを立てることから始まるわけだが立てられた問いは果たして問われるべきものなのか。正しく問えているのか。この辺りは自分の勉強不足かなとも思う。哲学に対する熱意が再燃したと同時に荒野のあまりの広大さに僅かながら絶望しつつもある。2023/01/27