内容説明
あれから10年。世界には、あの日と向きあい続ける文学者たちがいる。3.11によって文学の何が変わり、震災前はいかに読み替えられうるのか。大惨事を経て、それでも新たな力を獲得する「世界文学」としての視座から、あの経験の現在性を問う。
目次
総論 震災後文学の現在地
第1部 ことばと身体(イキモノをキュレートすること―川上弘美「神様2011」・多和田葉子『雪の練習生』を読む;多和田葉子の震災後小説における暗示としての震災―震災後文学の読者論のために ほか)
第2部 歴史と記憶(“移動”しながら想像するという彷徨―多和田葉子『雪の練習生』の向き合い方;フクシマ―多和田葉子のドイツ語作品における、一つの「転換」? ほか)
第3部 抑圧と解放(ネーションとドメスティケーション―大杉栄と金子文子の動物論;生産的でない未来のために―小林エリカ「トリニティ、トリニティ、トリニティ」における震災とオリンピック ほか)
娯楽小説としての震災後小説、または認められざる3・11後文学について
著者等紹介
木村朗子[キムラサエコ]
津田塾大学教授
アンヌ・バヤール=坂井[アンヌバヤールサカイ]
フランス国立東洋言語文化大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マカロニ マカロン
12
個人の感想です:B+。なんとか3/11に読み終えた。今では文学の新しいテーマになった感のある大震災。純文学をはじめディストピア的な扱いをされることが多い(『献灯使』多和田葉子、『ヤマネコ・ドーム」津島佑子等)ようだ。以前は東北は文学の中心からずれていたが、今ではフクシマが世界地図の中心点として扱われることもある(良い面だけではないが)。また娯楽小説でも震災が扱われることが増えており、10年たったことでの記憶の風化に歯止めをかける効果はあると思う。現在のウクライナの戦災への思いも馳せつつ、書き読み継いでいく2022/03/11
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