出版社内容情報
多くの名もない市井の人々が戦争で死んだ。6週間しか父と暮らせなかった著者が、戦死した父の足跡をたどり父親像を創造する。平凡な人生であったがゆえのかけがえのなさ。一市民の実話であるからこそ生まれる“共感”が、文章から目を惹きつけて離さない。
ふたりの横井さん――序にかえて
1 出生から学生時代
「ます」と「浜千鳥」
出生前後
幼稚舎時代
竹内浩三のこと
普通部から大学予科へ
恋 文
坂田山心中のこと
過去帳から見えるもの
大学卒業と就職
2 社会人・家庭人
結婚の周囲
秋、くちなしの実を思う
世紀末のグアム島慰霊行
よき市井の人として
新入社員の頃
桑原甲子雄の写真
兄の死と分家独立
家計簿から見えること
間宮春生氏をおくる
新世紀の八月
兵役のこと
紀元二千六百年
幸福な日々
ふたたび竹内浩三のこと
「若き血」の光と影
会社員の終末期
3 兵 役
応召とその周辺
当時の母の日記から
極寒の北満から
最後の写真
北満から灼熱のグアムへ
欠落を埋めるもの
南岸守備に就く
グアムからイラクへ
グアム島戦前夜
歩兵のあゆみ
4 戦 闘
アメリカ軍、遂に上陸す
戦場マンガン山へ
戦闘そして死
父の戦場をめぐった日
グアム島戦終焉まで
グアムの「雨」
5 家族のその後
留守家族の戦争末期
遺族への日々
消えた友人たち
戦後の風景
6 惜別の歌 ふたつ
惜別の歌
むすびに
日本に関連する出来事と木村敏雄の出来事の略年表
グアム島戦「書誌」――戦後派遺族の出発点
あとがき
ふたりの横井さん――序にかえて
初めてグアム島に渡り、五四年目にしてわが父の戦場のかたわらに立ったのは平成一〇(一九九八)年の夏だった。その慰霊行から帰ってのち、横井庄一さんを考えることが多かった。久しぶりに読み返す彼の著書『明日への道』(文藝春秋、一九七四年)は、目の底に強烈に灼きついたグアムの風光のため、描かれた場面を再現することが容易になったと思われた。
昭和五七(一九八二)年に三三人もの死者を出したホテルニュージャパン火災の責任者、横井英樹の死去を伝える記事をその年の一一月に読んだとき、真っ先に庄一さんを連想してしまったのは関心の余韻が充分に残っていたせいだろう。風貌が相似しているように思えたが、何しろふたりはほぼ同じ時代を共に八十余年生きた(英樹が二年ほど早く生まれ、一年後に死んだ)のだった。愛知県の高等小学校を卒業したのも同じ。庄一さんが仕立て職人になったのに対し、英樹は上京し一〇代で繊維問屋の経営者になった。経営の才覚があったのだろう、庄一さんがそれとは知らず敗残兵として山野をさまよいはじめていた終戦時、英樹は軍需物資を手がけていたという。戦時も戦後も事業拡大の絶好期であったのか、庄一さんが生還した昭和四七(一九七二)年頃には「乗っ取り屋」の異名をさずけられるに、実業家として肥大を遂げていた。その後、「戦後五〇年とか言われても、どうもピンとこなくてねえ。私には戦後二三年だから」と庄一さんがインタビューに答えた頃、ホテル火災があり、火災の責任で有罪となった英樹は、三年の禁固刑に服していたのだった。
同姓同郷同世代のよく知られた人物で、これほど対照的な人生の軌跡を描いた例は、そう多くはあるまい。
戦前戦中の社会をタイムカプセルさながらにほぼグアム島のジャングルで三〇年にわたって生き続けねばならなかった横井庄一さん。帰国した昭和四七年当時の祖国は彼にどう映ったのだろう。グアムの病院で取り囲んだ記者たち、髪が長く、多くはGパン等ラフな格好をした日本人記者を、庄一さんは日本語を話すからといって決して日本人だと信じなかったという。表面ですらそれほど劇的に変わったのだ。本土の人々を彼ほど注意深く観察し、自分のこもったタイムカプセルの視点で評価を加えることができた人物は他にはひとりも存在しない。『明日への道』やそののち書かれた『無事がいちばん 不景気なんかこわくない』(中央公論社、一九八三年)が、二〇世紀の奇書珍書を超えて人類の普遍的問題を見据えた書物と言われる所以だ。
横井英樹の成功と失意(?)の人生は、程度の差こそあれ、行きつくところまで来たこの欲望社会にあっては散見されるところである。日本の官僚システムや多くの会社の経営陣の目にあまる堕落ぶりに英樹の人生が重なって見えるのは僕だけなのだろうか。
父がグアム島で戦死せず、生還できたら、どんな戦後を生きたのだろうか、としばしば考える。答えは得られない。ただ横井庄一さんに近い視点を持っていたのでは、と思いたい。できれば大きな成功を望まず、幸福の本質的意味たる円満な家庭を維持する人として、戦後の社会を小さく生きて欲しかったという気持ちが強い。それを実現することがなかったからこそ父の戦死は哀れであり、哀れを忘れぬかぎりその死は無駄でなかった、そうも思う。
明治四一(一九〇八)年に東京に生まれ、昭和一九(一九四四)年グアム島で戦死した父の姿をこれからエッセイ風に追ってみようと思う。
全く無名な父親の一生を、この世で六週間しか生活を共にできなかった息子が、証言や資料を頼りに再構成したいと願ったのは、「父親があったのだ」ということを確認したかったからだ。もともとの文章は、右の「ふたりの横井さん」という予告ののち、二〇世紀から新たな世紀へと移行する時期、およそ六年をかけて福島県須賀川の俳誌『桔槹(きっこう)』に毎月連載された。このたび一冊にまとめるにあたって、大幅な整理は行わず、ほぼ字句の修正にとどめた。思考の歩みそのものに時代的な意味が含まれていると思ったからである。気づいた誤りは訂正した。英雄の物語は面白いが、平凡な人間の非業の死に至る話は、むしろ英雄譚より教訓的である。三一〇万人といわれる第二次大戦の日本人犠牲者のうちのたったひとりにさえ、これだけ豊かな人生があり、その真の完成が大きく損なわれたことをくみ取っていただければ、筆者の願いは不足なくかなう。
なお、一部旧字体(例、聯隊・戦歿)の使用にこだわったのは、死んだ兵たちの霊になじみが深かろうと思ったからである。ご寛容を乞う。
著 者
目次
1 出生から学生時代
2 社会人・家庭人
3 兵役
4 戦闘
5 家族のその後
6 惜別の歌ふたつ
著者等紹介
木村雄次[キムラユウジ]
1943(昭和18)年9月29日、東京都品川区に生まれる。國學院大學を卒業。その後、商売の修行を経て1973年、杉並区の荻窪駅北口に生花店を開業。全国グアム島戦友会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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