出版社内容情報
犯罪から子どもを守るための特効薬はない。幼少時に性被害を受けた著者が自らの体験を踏まえ、子ども自身の危険回避能力を高めるために有効な授業を紹介。不幸にも被害に遭った場合の親の対応や、子どもを加害者にしないための知恵と工夫についても説く。
まえがき
犯罪の被害に遭わない子どもは「いない」/犯罪を防ぐための「体質改善療法」
第1部 子どもを守るために「絶対に受けたい授業」
第1章 犯罪を「場所」で考える「地域安全マップ」
「不審者マップ」/「不審者マップ」の問題点/「不審者」って、どんな人?/犯罪者のタイプ分け/子どもたちを人間不信にしないで/犯罪者は「場所」を選ぶ/「その場所」に着目して作る「地域安全マップ」/犯罪に強い三つの要素/「入りやすいところと見えにくいところ」/フィールドワーク/地域の大人たちを巻き込む/マップの作製がもたらす効果/地図を破く/「犯罪発生箇所マップ」との比較/子どもへの聞き取り調査/有効な「子どもへの聞き取り調査」の方法/まとめ/マニュアル好きな人のために/こんなところが危険!/犯罪者の使う巧妙な手口
第2章 性被害防止教育と被害を受けた子どもの話の聴き方
性暴力被害者の怒り/教えられなければ、身を守れない/学校での性教育の現状/子どもたちの性の情報源はどこか/三歳から始める性被害防止教育/性の「科学・安全・健康」/親でも見てはいけないところ/親から出る質問/あなたは「本当に子どもを守りたいか」?/複雑な家庭事情の子どもへの性教育/子どもが被害に遭った時の親の対応/CAPプログラム/法的機関の介入の必要性/セックスと性暴力はまったく別のもの
第3章 赤ちゃんとのふれあい授業
赤ちゃんは「非日常」/赤ちゃんとのふれあい授業/ゼロ歳の赤ちゃんから学べること/女子高生たちへの新鮮なショック「泣きの理由」/ぶっつけ本番の育児は成功しない/近未来の父親たち/「愛される条件」/おっぱいは何のためについているの?/「赤ちゃん」と「性」は切り離せない/「絶対に受けたい授業」に共通する三つの特徴
第2部 私の、あなたのせいではない
第1章 未遂の事件簿
悪いのは「子ども」ではない/「魂の殺人」/五歳の記憶――強姦未遂/九歳の記憶――誘拐未遂/一〇歳の記憶――医者も信用できない/図書館の記憶/一四歳の記憶――フラッシュバック/男だったら大丈夫なのか?/被害者にならない方法はあるのか
第2章 児童虐待の加害者に寄り添う
虐待する親の事情/姑の嫁いじめ/「自尊心など持つ資格がない……」/誰か私を助けて/息子への仕打ち/第二子の妊娠/迷宮からの脱出
第3部 子どもを加害者にしないために
第1章 「小さかった時のわたし」を私が守る
まず親が「自分を大切にする」ことから始めよう/「安心の記憶」/自分を許す/過去のシナリオを書き換える
第2章 わが子のために「良い母」をやめる
母性愛神話/ありのままでいることの大切さ/自己主張のできる子になってほしい/負の連鎖を断ち切る「助けてくれる証人」
第3章 男の子を加害者にしないために
親に左右される男の子の女性観・男性観/ジェンダーの精神支配から逃れる/犯罪からわが子を守るため、あなたにできること
あとがき
巻末資料
まえがき
犯罪の被害に遭わない子どもは「いない」
午後一時二〇分。
家から小一時間も離れた職場にいる私の携帯に、息子たちの通う小学校からメールが入る。
「追いかけ事案の発生について。西警察署からの情報提供。昨日一二日、午後四時五五分頃、八子中学校付近で自転車で帰宅していた小学生(他校の児童)が、ヘッドライトを消した黒のステーションワゴン(運転手一名、黒サングラスを着用)に追跡されているのに気付き、駐車場に逃げ込み、車が通り過ぎたのを確認後、道路に出たところその車が後退、転回して追いかけてきた。被害はなし。八子公園周辺での不審な車にご注意くださるようお願いいたします」
昨日の夕方?
ええと、今はまだ学校は授業中で、私は息子らの帰りに間に合うように帰宅できるかどうか、まったくわからない。八子中学校って、うちから五〇メートルくらいしか離れてないじゃん。
――会社にいる私に、一体どうしろって言うんだろう……。
メールを配信してもらったって、カギを持って一人で帰る八歳の子どもに一体どうやってそれを知らせろっていうのよ?
不審者情報はこうして週に何度かメールされてくるが、そこで私たち母親ができることといえば、せいぜい子どもの帰宅時間に家の外へ出迎えて「友だちと別れて独りになる、最後の数分間の空白」をなくす努力をしてやることくらいである。ただ、私のように家から遠く離れて働いている母親にとっては、配信を希望したものの、一体どうすりゃいいの? という状況が少なくないのであった。
警察から不審者情報が入った翌日くらいは、せめて一年生から六年生までいっしょの集団下校にしてほしい、と思うのだがそういう配慮はなく、あくまでも「各家庭で」ご注意ください、なのである。
小学校からの防犯メール配信という試みは、近隣でも画期的、とは言われているらしい。しかし、情報が配信されるのは「防犯パトロール」に応募した、防犯に比較的関心の高い母親に対してだけである。学年に一〇人程度であろうか。
――子どもの防犯に関心の高い、母親。
この本を手に取ってくださったあなたは、おそらく子どものための防犯に「関心の高い」人なのだろう。
昨今の凶悪事件の低年齢化や幼い子どもへの残虐な事件の連続に、否が応でも「子どもを守ろう」という気運は高まっているが、はたと立ち止まり周囲を見回してみると、熱心に防犯に取り組んでいるのは「一部の関心の高い」主に「小さい子どもを持つ母親」か、教育者や警察・市民団体など、子どもたちを取り巻くいわば関係者ばかりである。
例えば、私の子どもが通う学校の生徒は五〇〇人以上いる。しかし、防犯メールの配信を希望している父母は一〇〇人に満たない。
これは、社会全体の縮図でもあるのだろう。関心の高い大人と、関心が無いか低い大人の割合は、おそらくいまだにそんなものだ。
防犯に対する熱意の温度差には、地域によってもかなりの開きがある。町ぐるみでなんらかの活動に活発に取り組んでいる場所があるかと思えば、ようやく人々が腰を上げたばかりの場所もある。もちろん数年前よりも「対岸の火事」という感覚は薄れてきてはいるが、身近に重大事件が起きないと本腰を入れて動かないのが普通なのだ。
だが、重大事件が起きなくても、軽微な犯罪の予兆はそこかしこに見られる。小さな犯罪なら子どもが巻き込まれてもいいか、といえばそんなことはないはずだ。防犯に対する熱意の温度差は、幼い被害者を減らす活動にとって大きなハードルとなっている。なぜなら、当然だが「守ろうとしない地域の子ども、守ろうとしない親の子ども」は、被害に遭う確率がとても高いからだ。
現実問題として自分自身が精神的にも経済的にも精一杯の毎日を過ごしているために、子どもの身の安全まで考える余裕のない親は多い。それは仕方のないことではあるが、そういう家庭の子どもは、実質的に「安全で安心な生活」を保証されないまま成長するしかなくなっていく。
しかし本来、防犯に対する親の関心が高かろうと低かろうと、どんな家庭の子どもでも犯罪から守られなくてはならないはずである。自分の子どもや顔見知りの子どもが犯罪被害に遭うのはたまらないが、子どもを守る気のない親が育てている、見ず知らずの子だったら怖い目に遭っても仕方ないなんて、微塵も思ってはいけない。
私たちは、どうも子どもが犯罪の被害者にならないようにすることばかりを考えがちだが、その犯罪の「加害者」は、どのように作られるのだろう?
そもそも、生まれついての犯罪者なんかいない。どうやって人が犯罪者になるのかは知る由もないが、一つわかっていることは、犯罪者の多くは「元は被害者だった」ということである。
子ども時代を幸せに過ごすことができた人は、その安心の記憶を土台に、幸せな人生を作り上げていく力を得る。しかし、つらい子ども時代を過ごさねばならなかった人は、その力を得損ねる。そういう人が増えることは、社会全体がつらく困難なところになっていくということだ。
一人ひとりの子ども時代を守ることが、ひいては社会全体を守ることにつながるのである。だとしたら、どのような家庭環境の子どもも取り漏らさずに(親の関心が高いか低いかなどに関係なく)、安全で安心な生活ができるように取り計らわなくては、どんな防犯対策もしょせん「対症療法」に過ぎないのではないだろうか。
――子ども時代に「被害者」となる子を一人も作らない――
これが、犯罪からすべての子どもを守るための第一歩だと私は思う。
犯罪を防ぐための「体質改善療法」
残念ながら私たちの社会には、子どもへの犯罪――連れ去りや暴力事件、性的虐待や親からの虐待――を防ぐための「特効薬」はない。
例えば防犯教室の普及やパトロール活動、防犯カメラなどのいわゆる防犯対策は、ある一定の成果を上げてはいても根底からの解決法とはなっていない。いわば痛みに対して鎮痛剤を与えるだけ……、つまりこれらは対症療法のようなものなのである。
犯罪者に、より厳罰を科すような司法の改正もあるが、結果だけを厳しくとがめても原因の部分をそのまま放置していれば、また別の犯罪が起きる。犯罪をなくすための「体質改善療法」とは、その原因の部分を点検し、矯正することでなくてはならない。
本書では、その「体質改善療法」を紹介したいと思う。
それらは対策マニュアルではなく「子どもへの授業」の形で存在していて、いずれも実際にたくさんの子どもたちに支持され、「高い満足度を得られる、子ども自身に危険回避能力がつく」と評判の授業ばかりである。
一つひとつの授業は独立していて、それだけで完成されているものばかりであるが、それぞれが別の授業をさらに広範に補う形となる。人間形成の段階から子ども時代を安心なものにしようと思うなら、本書に挙げた「授業」をすべて受ける(受けさせる)ことが必要である、と私は考えている。
これらの授業は、できるなら子どもだけでなく保護者にも受けてほしい。なぜなら、子どもを守るためにまず行動しなくてはならないのは、本当は、親だからである。
第1部では、これら「子どもを犯罪から守るために、絶対に受けさせたい(そして大人も受けたい)授業」を紹介する。第2部では、私自身が受けた幼少時の性被害体験と、それが加害行為を引き起こすに至った過程を綴り、転じて第3部では、わが子を「加害者」にしないための知恵と工夫についてもお伝えしたい。
ただ、私は児童虐待防止の専門家ではない。
犯罪防止のエキスパートでも、心理療法家でもない。
私は、性被害の幼い犠牲者の一人として、また、わが子を虐待してしまった親の一人として、「これさえ知っていれば、こういう教育を受けてさえいれば、こんなことにはならなかったろうに……」と痛恨する被害防止法について広く知ってもらうために、この本を書いたのである。
もちろん、今現在も、自分がわが子を一〇〇%犯罪から守れる、という自信はない。わが子が将来、なんらかの犯罪の加害者にならない、という保証もまったくない。
しかし、こうした負の体験を重ねたことで、どんな被害防止教育が役に立ち、どんなものが役に立たないのか、人一倍高くアンテナを張りめぐらせることができるのではないかと思っている。
スイスの心理学者C・G・ユングの言葉を借りれば「人は自分の行ったことのない場所を案内することはできない」――私はその場所を、幸か不幸か、歩いてきたからだ。
目次
第1部 子どもを守るために「絶対に受けたい授業」(犯罪を「場所」で考える「地域安全マップ」;性被害防止教育と被害を受けた子どもの話の聴き方;赤ちゃんとのふれあい授業)
第2部 私の、あなたのせいではない(未遂の事件簿;児童虐待の加害者に寄り添う)
第3部 子どもを加害者にしないために(「小さかった時のわたし」を私が守る;わが子のために「良い母」をやめる;男の子を加害者にしないために)
著者等紹介
内野真[ウチノマコト]
1997年よりフリーのイラストレーターとして活動。2001年6月発行の危機管理対策アドバイザー国崎信江著『地震からわが子を守る防災の本』(リベルタ出版)の挿絵、阪神淡路大震災の被災者の体験を元にした劇画を担当し、子どものための防災に関心を持つ。その後、「子どもを守る」ことへの関心を広げ、防犯研究に取り組む(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。