伝説の地方紙「石見タイムズ」―山陰の小都市浜田のもうひとつの戦後史

伝説の地方紙「石見タイムズ」―山陰の小都市浜田のもうひとつの戦後史

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  • サイズ B6判/ページ数 233p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784750319780
  • NDC分類 070.217
  • Cコード C0036

出版社内容情報

戦後の昭和22年、島根県浜田市で創刊された「石見タイムズ」。編集長、小島清文とその父親で社長の清友が地方紙にかけた理想とは何だったのか。戦後、日本の復興、地方の復活の流れの中で、同紙が山陰の一地方都市に興したエネルギーを今の時代に伝える。

はじめに
 「理想主義的小新聞」
序 清文とケーリ
 運命の出会い
1 創刊 昭和二二~二五年
母の郷里、浜田へ引き揚げ/創刊/戦後の混乱/日本再建のシナリオ/昭和天皇巡幸/「石見タイムズ」の事業1 洋裁学校/高額納税者ランキング1/理想的なタウン紙
2 発展期 昭和二五~二七年
清文の結婚/朝鮮戦争の勃発/戦前の復活/記者たちの横顔/株式会社「石見タイムズ」/映画と演劇/ケーリと「石見タイムズ」/警察予備隊誘致反対事件簿/高校野球の名門/高額納税者ランキング2
3 編集長、清文の憂鬱 昭和二七~三〇年
「白旗投降」という原体験/孤高のプリンス/浜田の文化人、三浦義武/三人の理想主義者/戦前復活を象徴した地元政治家/戦後と大学進学/郷土の文豪、島村抱月/高額納税者ランキング3/経済復興/「石見タイムズ」の事業2 新校舎と英語学習塾
4 社長、清友の終楽章 昭和三〇~三三年
清友の描いた夢/李ラインと漁民の受難/棟方志功展、浜田庄司展の開催/華麗な終楽章/父子の別れ/「自戒の年」/高額納税者ランキング4/消え行く戦後、赤線/島根県政を変えた男/「石見タイムズ」の終焉
5 「石見タイムズ」

はじめに
 「理想主義的小新聞」
 
 島根県・浜田市。人口四万六千人(二〇〇四年四月現在)の日本海に面した山陰の港町。いまから半世紀も昔の一九四七年(昭和二二)七月、この町に小さなタウン紙「石見(いわみ)タイムズ」が創刊された。創刊したのは、小島清文(一九一九~二〇〇二年)、このとき二七歳の青年だった。
 いまタウン紙(誌)、あるいはローカル新聞というと居住地のスーパー、飲食店などの地域情報を満載した「情報紙」を誰しもまず思い浮かべる。中にはカラーページをふんだんに使って、しゃれたデザインのものもあるが、所詮、商品やサービスの宣伝媒体で、無代紙としてポストに押し込んである。しかし、ここで紹介する「石見タイムズ」は、最近はやりのこうしたタウン新聞とは一線を画すものだった。戦後のローカル紙の流れを研究した『日本のローカル紙』(田村紀雄著、現代ジャーナリズム出版会)の分類によると、「理想主義的小新聞」ともいうべきもので、それは創刊した小島清文、オーナーとして編集・経営全般を掌握していた父、清友(一八九二~一九五八年)にそれぞれローカル紙に賭ける理念と夢が明確にあったからである。 
 小島清文は、太平洋戦陰の一地方から、狼煙を挙げたのである。(後略)

目次

序 清文とケーリ
1 創刊―昭和二二~二五年
2 発展期―昭和二五~二七年
3 編集長、清文の憂鬱―昭和二七~三〇年
4 社長、清友の終楽章―昭和三〇~三三年
5 「石見タイムズ」以後の清文の軌跡

著者等紹介

吉田豊明[ヨシダトヨアキ]
1936年、東京生まれ。小学校二年のとき中国(徐州)から引き揚げ、以後父の郷里島根県浜田市に浜田高校を卒業するまで在住。1960年、早稲田大学第一政経学部卒業と同時に日本経済新聞に記者として入社。産業経済を主として取材したあとワシントン特派員、編集局産業部長、日経BP社取締役、同常務、『日経ビジネス』発行人などを経て退任。現在、敬愛大学経済学部講師、拓殖大学海外事情研究所客員講師
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