出版社内容情報
障害者のためのバリアフリー旅行の普及と発展において、めざましい活躍をとげた石坂直行氏の足跡をたどり、その功績を明らかにするとともに、障害をもつ人々にとっての旅の意味をあらためて提示する。
はじめに 日本を変えた! 「車いすの旅」
第一章 『ヨーロッパ車いすひとり旅』の衝撃
第一節 車いすからみたヨーロッパ
第二節 異国での体験を原動力に
第二章 当事者主催の旅はこうして始まった
第一節 「ハンディ・ツアーズ」の挑戦
第二節 バリアを取り除くための活動
第三節 車いすで海外へ
第三章 誰でもいつでもどこへでも行ける社会をめざして
第一節 新しい旅、個性的な旅へ
第二節 交通バリアフリー法とバリアフリー旅行
第三節 受け入れ態勢はどう変わったか
第四節 石坂直行の先駆性と福祉文化
おわりに さあ、みんな一緒に旅に出よう!
おわりに
毎年お正月になるともらう一枚の年賀状がある。その年賀状は必ず「年賀はがき」ではなく「官製はがき」に書かれて送られてくる。この本の主人公、石坂直行さんからいただく年賀状である。
どうして「官製はがき」なのか。
石坂さんは今でも毎年何百通と年賀状を書かれる。しかし手が不自由なため、書くスピードは非常に遅い。つまり「年賀はがき」が発行される一一月から書き始めては、元旦に間に合わないのである。だから毎年半年も前から、少しずつ少しずつ書きためていかれるのである。
それほど大変な作業でありながら、石坂さんはほとんど動かない手を、一所懸命に動かして、毎年必ずはがきのスペースいっぱいに簡単なメッセージを書いてくださる。今年の年賀状には「昨年は韓国に旅行しました。今年はオーストラリアに行く予定です」と書かれていた。
しばらく体調を崩され、大好きだった海外旅行もご無沙汰だった石坂さんにとってまさしく二〇〇三年は復活の年であった。七年ぶりの海外は、さぞや楽しいものであっただろう。そして「今年はオーストラリアに行きます」と書かれた何の変哲もないこの一文に、どれだけの思いが込められていたのか。
一九七あったといえる。だからこそ当時はなかなか受け入れられなかったこともあったし、誤解されたこともあった。しかしこうして「ノーマライゼーション」や「バリアフリー」ということばがごくごく当たり前のことばとして使われるようになってきた今振り返ってみると、石坂さんの主張はどれも的確なものばかりであり、それゆえ時代の先駆者として位置づけられるのである。
石坂さんの活動は多岐にわたるが、一九七〇年代半ば以降、焦点は「バリアフリー旅行」に絞られていくことになる。そして自らの体験をもとに、すべての人に旅を人権のひとつとして保障していくためにどうしたらいいのかについて、全身全霊を打ち込んでいくことになる。その結果、今では以前よりはるかに障害をもつ人びとの旅行環境は整備されつつある。(後略)
内容説明
『ヨーロッパ車いすひとり旅』という書物から始まった、石坂直行というひとりの障害をもつ当事者の活動のあゆみ、それはひいては日本のバリアフリー旅行の発展の歴史でもあるのだが、その歴史をひもといてみよう。
目次
はじめに 日本を変えた!「車いすの旅」
第1章 『ヨーロッパ車いすひとり旅』の衝撃(車いすからみたヨーロッパ;異国での体験を原動力に)
第2章 当時者主催の旅はこうして始まった(「ハンディ・ツアーズ」の挑戦;バリアを取り除くための活動 ほか)
第3章 誰でもいつでもどこへでも行ける社会をめざして(新しい旅、個性的な旅へ;交通バリアフリー法とバリアフリー旅行 ほか)
おわりに さあ、みんな一緒に旅に出よう!
著者等紹介
馬場清[ババキヨシ]
浦和大学総合福祉学部助教授、日本福祉文化学会事務局長
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。