早稲田新書<br> 豊臣秀長 - 秀吉と泰平の世をめざした、もう一人の天下人

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早稲田新書
豊臣秀長 - 秀吉と泰平の世をめざした、もう一人の天下人

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  • サイズ B40/新書判
  • 商品コード 9784657250100
  • Cコード C0221

出版社内容情報

「秀長が生きていたら、家康の出る幕はなかった!」――秀吉の弟にして、豊臣政権ナンバー2ともいわれる豊臣秀長。あまたの戦国武将が、血を分けた兄弟と骨肉の争いを繰り広げたのに対し、秀長は、兄秀吉からもっとも信頼され、その天下統一事業を、あるときは合戦の場で、またあるときは交渉の場で支えていく。秀吉家臣団のなかで余人をもって代えがたい地位を占めていた秀長も、やがて体調を崩し、天正十八(1590)年に始まる統一事業の総仕上げ「小田原攻め」に参加できないまま、翌年正月に52歳で亡くなってしまう。優れた調停役を失った豊臣政権内で、その代役として急速に頭角を現すのが後の天下人、徳川家康であった。本書では、秀長の実像を最新の研究成果をもとに明らかにしつつ、たんなるナンバー2を超えた“もう一人の天下人”という新たな秀長像を提示する。


【目次】

はじめに――戦国武将にとって兄弟とは

第一章 秀吉の弟として
1 兄秀吉に仕えるまで
同父兄弟か異父兄弟か/秀吉に招かれたのはいつか/稲葉山城攻めでの働きは史実か/はじめて史料に名前が現れるのはいつか
2 信長に仕える秀吉のもとで
「金ヶ崎退き口」での秀長/秀吉の近江横山城を守る/小谷城攻めでの働き/一向一揆との戦いで軍を率いる

第二章 信長の死、兄弟の命運
1 秀吉とともに中国攻めへ
秀吉に代わり官兵衛に接触/播磨は秀吉担当、但馬は秀長担当/但馬平定と竹田城入り/信長の命で三木城攻めに参加/因幡鳥取城攻めでの役割/備中高松城包囲の一員として
2 本能寺の変と「中国大返し」
「中国大返し」で殿をつとめる/光秀との山崎の戦いへ/清須会議のあと、明智の遺領丹波を平定/「信長の葬儀」を警固する

第三章 兄秀吉の覇業とともに
1 賤ヶ岳の戦いから小牧・長久手の戦いへ
賤ヶ岳の戦いの前哨戦で活躍/賤ヶ岳の戦いへ/「美濃大返し」を待つ/小牧・長久手の戦いでみせた一面
2 紀州攻めと四国攻め
武士による支配か、一揆による支配か――泉南・紀州攻めの意味/歴史から姿を消す「惣国一揆」/紀州攻めの副将として/四国攻めで総大将に/大和郡山城に入る/秀吉と家康との間をとりもつ/九州の情勢と「惣無事」の論理/動きはじめる島津/秀吉・秀長の九州入り/秀長軍、根白坂で島津軍と激突/「調停人」としての秀長

第四章 豊臣政権を支える大黒柱
1 秀長による大和支配
政権の中枢メンバーとなる/摂関家に次ぐ家格に/金箔瓦の郡山城天守/大和における秀長の政治
2 城と秀長
家臣から築城名人を輩出/茶々のために淀城を築城

第五章 秀長の死と迷走する豊臣政権
1 秀長、小田原攻めに参陣せず
病気がちとなる秀長/家康による北条氏説得工作/もう一人の調停人/毛利輝元を郡山に招待する/沼田問題から名胡桃事件へ/小田原攻めの?末
2 豊臣政権にとって朝鮮出兵とは
秀吉はなぜ朝鮮出兵を考えたか/出兵に反対していた秀長
3 秀長の死とその後
秀吉の暴走がはじまる/利休切腹の知られざる背景/秀長の妻子とその血脈

おわりに――秀吉に天下をとらせた男

引用・参考文献

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