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ものがたり日本歴史の事件簿
少年天草四郎の決起―島原・天草の乱に散った人びと

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  • サイズ A5判/ページ数 148p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784652016343
  • NDC分類 K289
  • Cコード C8321

内容説明

大阪夏の陣から二十年あまり後の寛永十四年、九州・島原の地、原城の城跡に、数え切れない十字架の旗が、三万七千人の農民の手によってかかげられた。その一揆勢の中心にいて采配をふるのは、わずか十六歳の少年、天草四郎。四郎の行くところ、かならず奇跡が起こる!四郎こそ、しいたげられた農民たちと、迫害されるキリシタンたちの、希望の星だった。島原の一揆に呼応して、対岸の天草でも農民たちが立ちあがった。一揆勢は島原の城下になだれこみ、町を焼き、城をかこんだ。事の重大さにあわてた徳川幕府は、鎮圧に乗り出した。司令官は「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱。やがて十二万の軍勢が、十重二十重に原城をとりかこむ。原城に、最後の日がせまった…。徳川政権をゆるがすこの大事件がなぜおこったのか。日本の民衆にとっての宗教、信仰とはなにかを考える。

目次

島原・天草地方に空前の一揆―総大将に十六歳の少年天草四郎(キリシタン迫害が原因か―緒戦は一揆勢が圧倒;奇跡をおこなう少年天草四郎―なぞにつつまれたその経歴;江戸幕府が一揆の鎮圧に乗り出す―戦いは長期化か)
西洋との出会い―キリスト教の運命は(戦国乱世にキリスト教がつたわる;秀吉の天下―キリスト教暗黒時代が始まる;江戸幕府、鎖国への道をつき進む)
原城の風雲―一揆勢の奮戦に幕府軍苦戦(蜂起へ―もうひとつの共通点;原城の攻防開始―元日の戦いで幕府軍の司令官が討ち死に;幕府軍、作戦を転換;原城に最後の日がせまる)
四郎の運命、三万七千人の運命(なだれこむ幕府軍―抵抗もむなしく一揆勢敗北;幕府、鎖国体制を完成させる)

著者等紹介

小西聖一[コニシセイイチ]
1939年生まれ、愛媛県出身。早稲田大学大学院修士課程(日本史)修了。放送作家。おもな映像作品に「くらしの歴史」(NHK)「廣重の東海道を歩く」(NHKプロモーション)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Aya Murakami

72
他館から取り寄せたた図書館本 有名な天草四郎…、彼を英雄(?)に仕立て上げた影の実力者の存在が憶測であるが語られています。小西行長の家臣…、小西行長自身に関しては地元でしばらく寺社仏閣を燃やした大悪人扱いだったみたいです(広島住なので実感ないですが、NHKの英雄たちの選択で取り上げられていた) 空が赤くなるのと大飢饉ということで火山噴火の灰をイメージしますがこのあたりの時代で大規模な噴火があったということかな?2021/03/08

なま

7
大阪夏の陣から20年あまり後、寛永14年、九州島原、原城に数えきれない十字の旗が掲げられ3万7千人の農民一揆勢が集結。采配を振るうのはわずか16才の天草四郎。寛永13年の全国的な干ばつ、島原・天草地域の多藩よりも重い課税。未納税者やキリスト教信者に対し、みの踊り(みのを着せて火をつける)雲仙岳の地獄攻め(熱湯、硫黄を体に注ぐ、人を投げ込む)迫害がひどく「島原の乱」がなぜ起こったか?多面的に見られる。 また、vs幕府の「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱の戦略、 とびらの九州地図を確認しながら歴史を追えます。2016/12/30

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