出版社内容情報
九州・朝鮮半島へつながる海が開け、淀川・大和川と大小の水路がはりめぐらされた大阪。古来より交通の要衝となる一方、治水の課題を抱え続けた。古墳時代の運河「難波堀江」から、中世の河川流路の固定と沿海地の開発、豊臣期の太閤堤を経た1500年を、考古学の成果を軸に解説。都市大阪の基礎を築いた歴史を、水の観点から通観する。
【目次】
都市大阪と治水─プロローグ
古墳時代の放水路と運河〈難波堀江〉 都市形成の出発点
新しい難波堀江像
港と運河がもたらした大阪の都市形成
古代の三国川開削 分流路による流量調整へいどむ
三国川開削の実態
放水路か交通路か―和気清麻呂らの治水構想
奈良時代以降の治水政策と難波京停止の影響
淀川下流の流路固定と灌漑 低地帯の治水と開発
主要三川(大川・中津川・神崎川)の流路固定
「井路」と「縄手」による開発
水利・水防の具体例─南中島地域
中世大阪の沿海開発 海辺の治水と村・町の拡大
都会に残っていた沿海開発の好例
難波砂堆周辺の灌漑手法の発展段階
大阪の都市形成における沿海開発の意義
豊臣期の治水システム 城下町誕生の前提
リレー方式の治水
豊臣期の治水の功績
次代への継承─エピローグ



