内容説明
藤原氏との政治抗争に負け、歴史の表舞台から去った大伴氏。彼らは本当に姿を消したのか?「大伴」のウジ名を負うことで地域に根付いた三河大伴氏の動向にも目を配り、単純な敗者ではない大伴氏の未知の真実に迫る。
目次
古代「氏族」、大伴氏―プロローグ
1 令制以前の大伴氏(近侍する武官―五世紀の大伴氏;各地への遠征―六世紀の大伴氏;王権の激動と古代氏族―七世紀の大伴氏)
2 奈良・平安時代の大伴氏(律令貴族大伴氏―大伴安麻呂・旅人;大伴家持と八世紀の政治史;大伴氏の没落と伴善男)
3 三河大伴(部)直氏と三河伴氏(三河の国造―三河大伴(部)直氏
三河伴氏)
「敗者」の氏族、大伴氏―エピローグ
著者等紹介
荒木敏夫[アラキトシオ]
1946年東京都に生まれる。1969年早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。1975年東京都立大学人文学部大学院人文科学研究科史学専攻(博士課程)中退。現在、専修大学文学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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小鈴
13
お目当ての「三河大伴(部)直氏と三河伴氏」(156-208)を読むために。伴氏だけでなく三河の歴史が分かる。三河国に大友氏が存在していたことは『日本書紀』の大化二年3月19日条の記述から。そこにでてくる三河大伴直は、中央の大伴氏と犠牲的な血縁関係を結んだ三河地域の有力氏族と考えられる。以下、三河地域の国造制の展開。物部氏が編んだ『先代旧事本紀』「国造本紀」は『隋書』倭国伝の記述と裏打ちがとれたもので、本紀には三河地域の国造について「穂国造」(東三河)、「参河国造」(西三河)の二国造の記載有り。2018/05/13
マウンテンゴリラ
3
さしたる歴史通でもない私にとっては、大伴氏と言えば、万葉集の編者として有名な大伴家持、という程度の認識しかなかった。そのせいか、文化人を代表する氏族であったかと思いきや、神代の時代より、天皇の側近として仕えたとされる伝説の武人一族であった。また、その勢力たるや、蘇我氏や物部氏と肩を並べるほどの権勢を誇ったというのは意外であった。それと共に、やはり、弥生時代から律令国家の成立までの古代前期は、軍事色の強い政争の時代であり、裏を返せば敗者の歴史に彩られた不安定な時代と言えるかも知れない。2021/11/24
長重
1
★★☆☆☆ [図書館]久しぶりに歴史物が読みたくなって借りて読みました。“敗者の日本史”シリーズ読み初めてこの本で6冊目。 相変わらず古代史がサッパリ解らない(泣) 今巻は古代軍事貴族“大伴氏”が発展しその後藤原氏の権力掌握の過程で排除されていく流れと三河に土着した三河大伴氏の活躍にも触れていました。 解らないところは解らないまま読み進めたので面白かった印象がほとんどない(笑) 三河大伴氏が保元・平治の乱に参戦してたのは少しだけ興味深かった。2015/06/22
のぶさん
0
古代氏族大伴氏の歴史。氏族間の抗争に破れて退場していったというイメージが強かったが、むしろ、何度かの政争に敗れながらもしぶとく這い上がってきて、伴善男の時に最終的に没落してしまったというのが読後の印象。もうひとつ、大伴氏と擬制的に同族関係を結んでいる氏族が全国にあって、中央の大伴氏の没落を契機に本当の血縁関係を系図という形で偽装している。単なる机上の作文ではないことを認識した。2016/01/31
onepei
0
「大伴」ブランドは残ったということか。2014/11/05