内容説明
西大寺の叡尊、極楽寺の忍性。その戒律再興は南都仏教興隆の最高潮というべきであり、またその慈善救済の超人的実践は日本の社会事業史上に不滅の光彩を放つものである。地味な鎌倉旧仏教に属する宗教家としての2高僧の面目と、かれらをめぐる民衆の切実な求道生活とを、根本史料によって鮮かに再現した最初の伝記である。
目次
序章 末法の世
第1 西大寺叡尊
(戒律の復興;関東下向;西大寺流の発展;晩年の名望)
第2 極楽寺忍性(その出家と東下;極楽寺の興隆;諸寺の経営;晩年の顕栄)
結語 持戒の宗教
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
4
叡尊は義仲の後裔という興福寺学侶慶玄の子として大和の国箕田里で出生(17ページ)。慙愧(恥じ入り 広辞苑)の涙。慈善と救済。鎌倉悲田で食の施し、向浜で忍性、大仏悲田で頼玄らが十善戒を授け、盛遍が菩薩戒めたことから(49ページ)。北山十八間戸は忍性の創設(106ページ)。日本現存最古の救らい施設。らい者は あざ(傍点) を顔にひとつとどめ、生まれ変わった暁には師の徳に報いようと臨終に誓った(107ページ)。報恩の精神は現代日本人に欠けてしまった精神かもしれない。輪廻転生。行基に対する追慕と(177ページ)。2013/02/23
Tomozuki Kibe
2
律宗でいう戒律を守れはどこの宗派もそうで、一派を興すには弱い。律は鎌倉時代には密教や興福寺に押され衰弱。ここに律宗回復を目指す叡尊と忍性が現れる。彼らの宗教的意味はどうでもよく私が知りたいのはらい患者を守って北山十八間房を作り、宇治大橋をかけた社会事業者の面。それには金=俗世間の権威が必要で幕府に接近したことを日蓮は「律国賊」と叩く。 橋のたもとの殺生を禁じ、らい患者を救うために横暴地頭と癒着する。作善は別の形で犠牲者を生む。漁師に茶栽培の仕事を与えられたのはまあ良しだろう。 ところで行基て菩薩なのか。2024/08/22
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