出版社内容情報
『日本書紀』『古事記』を基幹に古代史を構築するにはどの様な史料操作が要求されるか。潤色と架上を排除して紀年を復元し、記紀系譜の成立過程を明らかにするとともに、書紀と中国史書・朝鮮史書の記事を対比させ彼我の史実を考証する。さらに日本文献に見える朝鮮史料を抽出して日朝関係を論じ、広開土王碑諸拓本の精査により改竄説を批判する。〈主な目次〉Ⅰ=上代紀年と王統譜(上代紀年に関する新研究/記紀系譜の成立過程について/『三国遺事』百済王暦と『日本書紀』/中国史書における百済王統譜)/Ⅱ=古代の日朝関係(欽明朝における百済の対倭外交―特に日系百済官僚を中心として―/加不至費直の系譜について―『百済本記』読解の一例として―/白村江の戦と水軍の編成/古代文献に現われた城―特に対朝鮮関係築城を中心として―)/Ⅲ=日本文献にみえる百済史料と広開土王碑(日本文献にみえる初期百済史料/朝鮮語よりみた秦・漢両氏の始祖名/広開土王碑に対する石灰塗付作戦説への疑問/広開土王碑水谷拓本の一考察)/補論1=生口/補論2=分国論と渡来人/補論3=倭王武の上表文/あとがき/索引
感想・レビュー
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perLod(ピリオド)🇷🇺🇨🇳🇮🇷🇿🇦🇵🇸🇾🇪🇸🇾🇱🇧🇨🇺
7
2000年刊。著者は在野の歴史研究家で名古屋大学文学部国史学科卒業、元京都女子高等学校教諭。 I.上代紀年と王統譜。 第一:上代紀年に関する新研究。記紀、特に『日本書紀』の記述は信じがたい箇所が多い。例えばまったく記事のない年が非常に多く、これが紀年引き延ばしではないか、と言う論点。また書紀では中国や朝鮮の史料を引用する箇所がかなりあり、それを手がかりに記注干支年と照合する。結論としては崇神天皇の崩御は301年となる。 第二:記紀系譜の成立過程について。図解しないと無理。→2024/02/09