歩くという哲学―世界を動かした小説、詩、哲学は、歩行によって生まれた

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歩くという哲学―世界を動かした小説、詩、哲学は、歩行によって生まれた

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  • サイズ A5判/ページ数 304p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784635350020
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

出版社内容情報

世界を変えた思想や哲学、文学、詩は歩行から生まれた。
最高のアイデア、知性を生む様々な歩き方を偉人から学ぶ。


世界中に影響を与え、世界を動かした思想家、哲学者、作家、詩人の思索の多くは、歩くことによって生まれてきました。
歩くことは、最もクリエイテブな行為なのです。
また素晴らしいアイデアを出す歩き方にも様々なものがあります。
歩くことは、単なる機械的な繰り返しの動作以上のものであり、自由の体験であり、緩慢さの練習であり、孤独と空想を味わい、宇宙空間に体を投じることでもあります。

著者のフレデリック・グロが、哲学的な瞑想の連続を読者とともに探索しながら、ギリシア哲学、ドイツ哲学と詩、フランス文学と詩、英文学、現代アメリカ文学等の、著名な文学者、思想家の歩き方について探求します。
ソクラテス、プラトン、ニーチェ、ランボー、ボードレール、ルソー、ソロー、カント、ヘルダーリン、キルケゴール、ワーズワース、プルースト、ネルヴァル、ケルアック、マッカーシーらにとって、歩くことはスポーツではなく、趣味や娯楽でもなく、芸術であり、精神の鍛練、禁欲的な修行でした。
また、ガンジー、キング牧師をはじめ、世界を動かした思想家たちも歩くことがその知恵の源泉でした。

歩くことから生まれた哲学、文学、詩の数々に触れてみましょう。

内容説明

世界で21の言語に翻訳され、フランスで8万部売れたベストセラーの完訳!世界を動かした小説、詩、哲学は、歩行によって生まれた。

目次

歩くことは、スポーツではない

遅さ
やむにやまれぬ逃走の欲求(ランボー)
自由
孤独
孤独な歩行者の白昼夢(ルソー)
根本的なもの
重力
エネルギー
憂愁に満ちた彷徨(ネルヴァル)
歩行狂人
沈黙/静寂
永遠
道を撫でる
なぜわたしはこんなによい歩行者なのか(ニーチェ)
充足の諸状態
感謝の念
野生の征服(ソロー)
反復〔ほか〕

著者等紹介

グロ,フレデリック[グロ,フレデリック] [Gros,Fr´ed´eric]
1965年生まれ。パリ政治学院政治思想学教授。パリ高等師範学校(ENS)に学び、1999年にフーコーについての研究によりパリ第12大学博士号を取得

谷口亜沙子[タニグチアサコ]
1977年生まれ。明治大学文学部フランス文学専攻教授。早稲田大学に学び、2005年にミシェル・レリスに関する研究でパリ第7大学文学博士号を取得(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

けんとまん1007

58
歩くことは好きだ。随分前、山歩きをしていて、長い間中断していたが、昨年から再開。〇〇年の時間の流れがあっても、歩き方については、身体が覚えていた。と、再開して、歩きながら考えること・感じることが蘇ってきた気分。非日常の歩きでは特別かもしれないが、日常の歩きの中でも、ふと視点を変えると気づくことも少なくない。気づくと、自然と考えることになる。錚々たる人たちも、一人の人間として歩くことでいい時間を過ごしたのだ。2025/07/25

R

51
詩人や哲学者が愛した歩くという行為についての著述や、その思想を紐解いた哲学書。「歩く」の示すものが広範囲で、散歩だけではなく、山歩きや行進も含まれることで、政治的思想や社会学的な側面もつまびらかにしていて面白い。読んでいて、なるほどと思うことや、納得する場面も大変多いのだが、歩くという行為そのものに特別な意味を感じるかと思えば、それは動作の一つに過ぎないとする論調もあったり、大変多様で興味深かった。歩くを哲学するという言葉通りの本。2025/08/18

特盛

33
評価3.9/5。著者はフーコーの研究者のフランス人で、本書は歩くことに関する哲学的エッセイだ。歩くことで自分は自分自身を取り戻すことが出来る。また、自分を意識的に手放し空っぽの状態にすることが出来る。これらの両義的側面をルソーやソロー、ニーチェ、カント等様々な思索家が引用され、それぞれの生きざまにおける歩く行為の意義が語られる。単純な行為なのに深い。趣味の山歩きをしながらぼんやりと思っていたことが、言語化されて出会うのは嬉しい。出版元が山と渓谷社というのには、「やるなぁ」とニヤリとさせられた。2025/05/29

波 環

11
なんで歩くの?楽しいの?ときかれるし、めんどくさいから、きいてくる人が欲しいような答えをします。この本はそのめんどくさいことを、めんどくさい人の例を出して話てくれる本。ニーチェとかフーコーとかガンジーとか、偉人も歩ていた。歩く人という意味では同じね!歩くときに見えていたことや、疲れる体もしょうがないことや、それが大好きことは同じね。2025/09/25

小木ハム

11
詩人は皆、ひとりで歩いたという。創作と散歩は相性がよい。おそらく景色が変わっていくからだと思う。散歩から得られるフラクタルな刺激は、自分の無意識下に沈潜しているフラクタルな知識・経験と重なる瞬間があり、そのときパッとアイデアが浮かんだりする。ニーチェは「広々とした空気の中で身体を動かしながら作り上げられた思想以外は、信じてはならない」と言った。足を悪くして次第に歩けなくなっていくのとほぼ同時進行で、彼の精神崩壊も進んだという。後に「まったく別の世界に行ってしまったように見えた」と実妹は語っている。2025/07/13

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