内容説明
未踏のエヴェレスト目指してチベットの高い峠を越え、ナンダ・デヴィ内院の禁断の扉をこじあけたエリック・シプトンの名高い探検行は、彼自身や盟友ティルマンの著書によって語られている。ピーター・スティールが本書で描いたのは、そうした行動の背景となった人間シプトンの生き方である。家族や友人へのインタビューをかさね、シプトンの日記や50年以上にわたって付き合った女性たちと交した数百通の手紙を参照して、スティールは、この偉大な探検家の波瀾に満ちた生涯を再現することに成功している。アフリカの山々を縦横に登り、ヒマラヤとカラコラムの未踏の氷河に分け入り、カシュガルと昆明では英国総領事の職にあった。エヴェレストの南面に可能なルートを発見して初登頂の礎を築いたあと、晩年は南米パタゴニアの嵐の大地に探検行を繰り返した。しかし、本書で重要なのは、1953年のエヴェレスト隊隊長を直前になって解任されたいきさつを明らかにするなど、シプトンという人物の謎にあらたな光をあてたことであろう。
目次
山との遭遇―学校生活、アルプス(1907‐27)
ケニヤの農園生活―ケニヤ山、キリマンジャロ、ルウェンゾリ(1928‐32)
ヒマラヤへの第一歩―カメット(1931)
歓びのない登山―エヴェレスト(1933)
内院へ―ナンダ・デヴィ(1934)
老隊長と若者たち―エヴェレスト(1935‐36)
峰・谷・氷河―シャクスガム(1937)
時間の浪費―エヴェレスト(1938)
カラコラムの測量―ヒスパーおよびビアフォ氷河周辺(1939)
総領事―カシュガル(1940‐42)
著者等紹介
スティール,ピーター[Steele,Peter]
医師。カナダ、ユーコン州在住。シプトンがエスクデールの海外登山専門学校で校長をしていた1954年当時、生徒として登山入門をはたす。’67年、5カ月にわたり妻と子供2人をつれてブータン・ヒマラヤをめぐった。’71年エヴェレスト国際隊に参加。シプトンとは長年家族ぐるみの付き合いがあった。著書に「二人の大人と二人の子供でブータンへ」「登山家のための医療対策」
倉知敬[クラチケイ]
1939年生まれ。一橋大学卒。日本山岳会会員。一橋大学山岳会会員。共著に『ロシュ・ゴル氷河の山脈』、共訳書にシプトン『未踏の山河』、訳書にキングドン=ウォード『青いケシの国』がある
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