内容説明
1978年8月6日。ラインホルト・メスナーは15kgのザックを背に、ひとりでベースキャンプをあとにした。目標はナンガ・パルバート、ディアミール壁。標高差約4000mの岩と氷の壁に挑んだ彼は、幻覚に悩まされながらも登頂し、死と隣り合わせの5日間を生き抜いて、帰還する。人類初の8000m峰完全単独行に成功した彼が、ヒマラヤ登山の常識を覆した登攀のすべてと自己の内面を鋭く描いた代表作。
目次
ナンガ(一人の男と一つの山;黒い孤独 ほか)
ティケ(夢は生きる;独り歩き ほか)
ディアミール(白い孤独;人の声 ほか)
ナンガ・パルバートの25年(ナンガ・パルバート年表/遠征隊一覧/登頂者一覧;一九三二年から三九年、悲劇の歴史 ほか)
著者等紹介
メスナー,ラインホルト[メスナー,ラインホルト][Messner,Reinhold]
1944年、南チロル(北イタリア)のフィルネスに生まれる。父親の影響で幼少のころから山に親しみ、ドロミテの岩壁や西部アルプスで頭角をあらわす。1970年にナンガ・パルバート登頂。以後、ヒマラヤを中心に数々の登攀活動を行う。1975年、ガッシャブルムI峰をアルパイン・スタイルで登頂。1978年、エベレストに無酸素登頂。同年、ナンガ・パルバートをベースキャンプから全行程単独登頂。1980年には単独、無酸素、アルパイン・スタイルでエベレストに登るなど、高峰登山につぎつぎと新しい地平を切り拓いてきた
横川文雄[ヨコカワフミオ]
1918年、東京生まれ。上智大学文学部独文学科卒業。長年にわたりドイツの山岳書の翻訳を数多く手がけ、日本の登山界の発展に貢献した。上智大学名誉教授、ワンダーフォーゲル部の部長も務めた。2000年4月13日、食道ガンのため死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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