内容説明
江戸時代は、キリスト教が禁止されていた時代だった。では、キリシタン(キリスト教徒)はどのように取り締まられたのだろうか。やがてキリシタンでないことを寺院が証明することになり、寺請・檀家制度が成立する。つまり、寺院は支配の末端機構となった。しかし寺院は地域において、様々な役割を果たすようになる。本書では、各地におけるキリシタン禁制の進展と、寺院の動向や民衆の宗教生活について見ていく。
目次
1 キリシタン弾圧の展開
2 キリシタン禁制制度の確立
3 宗門改はどのように行なわれたのか
4 地域における宗教生活
5 宗教施設の役割
6 キリシタン禁制の終末
著者等紹介
村井早苗[ムライサナエ]
1946年生まれ。日本女子大学文学部卒業。立教大学大学院文学研究科日本史専攻単位取得。専攻、日本近世史。現在、日本女子大学文学部助教授
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感想・レビュー
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新田新一
35
キリスト教が禁止になり、仏教が江戸時代の人々の生活に組み込まれていったことが書かれています。漠然とした知識で江戸時代になった直後にキリスト教が禁止されたと思っていました。そうではなく、島原の乱などを経て徐々にキリスト教への弾圧が強まっていったことが分かります。人々の生活の一部になった仏教は、普通の人々を管理するために利用されましたが、一揆の時などは為政者と人民の仲介する働きがあったことが記されており、興味深かったです。2024/10/11
ATSU
1
まず,キリシタンから宗門改・キリシタン改は始まった。キリシタン禁制を目的として,寺壇制度や宗門改帳ができた。しかし,キリシタン以外の人がすべて,どこかの寺院に属していたわけではなかった。「幕府は1671年に,直轄領に宗門改帳の基準を示した。それによると,百姓一軒ずつ,村単位で宗旨を改め,男女の人数を合計するように命じている。」え?村単位?じゃあ,「私はこの宗派の信者です。」ってわけにはいかないの?でも,実際は村を越えることもあるらしい。現在の寺と檀家の関係のはじまり2015/12/01