内容説明
インド洋を介して、アフリカがアラブとインドに出会った舞台―黄金、象牙、そして奴隷を求めて、多種多様な商人が狂奔した舞台―やがて、ポルトガルがやってきて、略奪・虐殺を繰り返す。そして、アラビア半島から王がやってきた。王がいて、貴族がいて、平民がいて、奴隷がいた。それが、東アフリカ沿岸部のスワヒリ都市。その栄華に目をつけたのが、アメリカ、イギリス、フランス…、植民地化の足音がせまってくる。あまり知られていない世界史の裏庭を、一緒に歩いてみませんか。
目次
スワヒリ都市の景観
1 スワヒリ都市の起源
2 都市の出現
3 ポルトガルの侵略
4 オマーン王国の進出とスワヒリ都市の繁栄
5 スワヒリ都市と農業
著者等紹介
富永智津子[トミナガチズコ]
1942年生まれ。津田塾大学大学院修士課程修了。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専攻、東アフリカ・スワヒリ史。現在、宮城学院女子大学学芸学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
148
8世紀半ばから現代に至る、スワヒリ諸都市の汎インド洋世界における交易と栄枯盛衰を跡付けたもの。具体的にはストーンタウン(ザンジバル)や、ラム島、キルワ島の諸都市などがこれにあたる。歴史的には、15~16世紀のイスラムの受容が、この地域の人々に文明化と差異化を意識させ、やがてはスワヒリ語を生んでいったという指摘や、その後もこの地域においては奴隷化されないためにイスラム化が拡張したことなどはなるほどと思わせるものだ。ただ、少ないページ数で通史的に語られるために、文化的な考察には厚みを欠いているのは残念である。2014/08/01
サアベドラ
20
東アフリカ沿岸部で栄えたスワヒリ都市の歴史。かの地の人々はインド洋交易の一角を担い、アフリカとアジアの諸文明の出会うスワヒリ都市に独自の文化を築いたことで知られる。アラブ人やペルシア人との混血が進み、言葉もバントゥー語にアラビア語の語彙を多く取り入れた独自の言語を話した。彼らはイスラームを受容したことでも知られるが、その要因の一つは「改宗すれば奴隷として売られずに済んだから」という身も蓋もないもの。アフリカは大西洋三角貿易で奴隷の輸出元として有名だが、この点は東海岸も同様だったらしい。2018/04/09
MUNEKAZ
14
東アフリカ沿岸のスワヒリ都市の歴史をコンパクトにまとめた一冊。アラブ人との交易とイスラームの受容、インド商人の活躍、そして西欧諸国による植民地支配と環インド洋世界の多様な交流の一端が、スワヒリ都市の成立から見えてくる。またその繁栄の要因として、沿岸部のスワヒリ商人による内陸部への奴隷狩りを含む苛烈な収奪があったというのも見逃せない点。西洋がアフリカを搾取するという一面的な理解では見えてこない、歴史の暗部を示している。短いが読み応えのある良書。2021/05/23
aisu
9
表紙に惹かれて。まずスワヒリってどこ?から…2015/08/19
Joao do Couto
5
ポルトガルのアジア進出時の奴隷貿易について知りたいと思って、読んでみた。この本ではあまり触れられていなかった。オマーンが支配を開始してから、奴隷の輸出が本格的に増えたのか、その点は不明。しかし、この本はよい本。とくに著者の書いた研究書の一部をまとめている4章は印象深い。ヨーロッパ人以外が奴隷を用いて、近代化…大規模農業を行うってあまり考えてみなかった。もちろん、日本も近代化、工業化をやっているし、ヨーロッパ人以外が何をしようとおかしなことではないのだけれど。自分は、勉強が足りないなー、とまたまた思う。2018/06/08