ミネルヴァ日本評伝選
小早川隆景・秀秋―消え候わんとて、光増すと申す

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  • サイズ B6判/ページ数 363p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784623085972
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0321

出版社内容情報

小早川隆景(1533?97)・秀秋(1582?1602) 戦国・織豊期の大名。
毛利元就の三男に生まれ、国衆小早川家を継承し、豊臣政権の中枢にまで上り詰めた隆景。天下人秀吉の養子から隆景の養子となり、関ヶ原合戦での「裏切り」で汚名を残した秀秋。大きく変転した小早川家二代の実像を探る。

内容説明

疾風の如く変転した小早川家…天下を左右した父子、その実像。

目次

序章 隆景入嗣以前の小早川氏
第1章 小早川隆景の登場
第2章 小早川氏当主隆景と毛利氏一門隆景
第3章 隆景と信長・秀吉
第4章 豊臣大名隆景
第5章 秀秋入嗣と「大老」隆景
第6章 秀俊から秀秋へ
第7章 関ヶ原合戦と小早川氏の断絶
終章 作られた隆景・秀秋像

著者等紹介

光成準治[ミツナリジュンジ]
1963年大阪府生まれ。広島県で育つ。2006年九州大学大学院比較社会文化学府博士課程修了。同年博士(比較社会文化)学位取得。現在、九州大学大学院特別研究者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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きみたけ

58
個人的には気になる武将だったので詳細を知れて良かったです。毛利元就の三男に生まれ、国衆小早川家を継承し豊臣政権の中枢にまで上り詰めた小早川隆景。天下人秀吉の養子から隆景の養子となり、関ヶ原の戦いでの「裏切り」で汚名を残した秀秋。大きく変転した小早川家二代の実像を探った一冊。副題の「消え候わんとて、光増すと申す」とは、隆景が毛利輝元に宛てた手紙の中で、毛利の力を過信していた輝元を「消える寸前に光が増すこともある」と戒めた一節から引用。2024/07/22

サケ太

20
類い稀な知将として描かれる、小早川隆景。愚かな裏切り者、小早川秀秋。小早川家の人間ではない二人の男の、小早川家を運営していったその方法。元就、隆元、輝元との関係性。血の繋がりのない二人の関係性。互いに言われるほど優秀だった訳でも、愚かだった訳でもない。二人とも、小早川家の当主として、努力を重ねてきた。虚像にまみれた二人の本当の姿の一端が見える。こういう姿を見えてくるので、非常に面白い。2019/12/30

電羊齋

11
小早川隆景・秀秋親子の評伝。小早川氏当主・毛利家宿老・豊臣大名という複雑な立場を生きた隆景が印象的。毛利家を守るため毛利輝元の養子に入るはずだった秀秋を養子に迎えたという隆景の美談、秀秋の人物像と「裏切り」の汚名などこれまで流布してきた後世に作られたイメージに批判的検証を加え、同時代史料を堅実に積み上げて史実に迫る労作。2019/10/13

MUNEKAZ

9
対照的なイメージの養親子の評伝。沼田・竹原両小早川家、毛利家からの家臣、移封先の国衆、豊臣政権からの家臣と複雑な構成の家臣団が印象的で、しかもそれが毛利家減封と秀秋の早世の結果、見事に四散してしまう。まさに時代に翻弄された「家」という感じ。沈着冷静なれど保守的な隆景、重臣より実権を取り戻しお飾りの存在から脱しようとする秀秋とそれぞれの苦闘も興味深い。関ケ原より早く死去したため伝説化した父、関ケ原直後に死去したため「汚名」だけが残った子と、「関ケ原」による明暗がはっきりした二人である。2019/03/31

金監禾重

8
何をしたかはあまりわからないが、立場がどのように変わったかが考究されおもしろい。隆景は幼少にして小早川家を継ぐが、やはり当初は元就の支配下。隆景の成長につれて分枝でありながら両川体制による「大毛利家」の当主を狙う。小早川家といえば中世武家の嫡庶関係研究の題材だが、隆景も中世の人間だ。しかし「大毛利家」当主は輝元に定まり、隆景も信頼できる後見人に成長する。秀秋入嗣の逸話は美化されているようだが。秀秋は関ケ原前に一時越前に移封となり、家臣団が分散する。毛利家に仕えた者は(続)2020/07/21

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