内容説明
児玉源太郎(一八五二~一九〇六)陸軍大将・台湾総督。佐賀の乱、西南戦争での熊本城篭城、日露戦争における旅順要塞攻防戦…。大日本帝国の興隆とともに、数多の戦場を駆け抜けた児玉源太郎。「天才的戦術家」などの既存のイメージを超え、立憲主義的軍人としての真の姿を実証的に描き出す。
目次
第1章 その生い立ち
第2章 速やかに鹿児島を突くべし
第3章 理想の陸軍を求めて
第4章 突飛新式の果断家―台湾総督・陸軍大臣
第5章 「国運を担う」者
終章 帝国の光芒
著者等紹介
小林道彦[コバヤシミチヒコ]
1956年埼玉県熊谷市生まれ。中央大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学、京都大学博士(法学)。現在、北九州市立大学基盤教育センター教授(日本政治外交史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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りょう君
18
図書館本。学者が書いた本。大日本帝国憲法の第11条は天皇の統帥権を述べたもので、司馬遼太郎氏はさきの戦争に至ったのは、陸軍が統帥権を魔法の杖のように利用したからだと言った。明治時代を生きた陸軍の軍人である児玉源太郎は、天皇の統帥権を正しく理解した立憲主義的軍人であると言えるのでは・・児玉源太郎は、幼いときに実家がテロにあい苦労して軍人となり、陸軍大臣や台湾総督を歴任した。乃木大将に代わり203高地攻略を果たし「そこから旅順港は見えるか」と言ったという。日露戦争の直後に病気で亡くなったのは余りに惜しい・・2016/10/27
読書実践家
13
大好きな人物、児玉源太郎。西南戦争、日露戦争で奮闘し、日本を守り抜いた。経綸の才もありながら、無私の精神で、軍人として国難に立ち向かった。2016/03/02
0717
12
児玉源太郎評伝の良書。「そこから旅順港は見えるか」との言葉が、実際に電話口で発せられたかどうかは別にしても、児玉は同様の問いかけを行ったであろうし、その問いかけには、第三軍の、否それどころか明治国家の運命が託されていたということである。2018/04/30
Noribo
9
本来軍人である児玉が後藤新平を重用したことは有名だが、新渡戸稲造など文官をうまく使って台湾行政をソフトに進めたことが現在の台湾の好意的な日本観につながっていると思う。児玉は1906年に急病死したが伊藤博文は桂内閣の後継に擁立すべく考えていた。軍人でありながら「陸軍の権力は抑制されるべき」とし山縣と対立した児玉。あと数年でも存命ならば、伊藤と図って陸軍の(あるいは山縣の)権限に一定の制約を加えることに成功しただろう。そうなれば満州事変から終戦までの約20年間の日本の歩みは別の色を帯びたに違いない。2023/09/04
オチョモコ
4
三島由紀夫小説、神風連の乱よりの児玉の活躍に触れ一読。文献のダイジェスト版のようで読み難い面はあるものの、そこは事実そのものが掲載されており実にリアルである。明治時代の日本の苦難と高揚がよく見てとれる。今風の絶対戦争反対、平和的協議による解決一辺倒では当時の国土にお花畑は醸成しなかった。よくよく思うに児玉源太郎がもう少し永く健在であれば今ごろ日本の風景も変わっていただろうにと残念でならない。あゝ203高地『どうしたら使者の魂魄を慰めることができるだろうか。彼らの死に生者は何を以て報いるべきなのだろうか』2019/09/26