大人の本棚
グラン・モーヌ―ある青年の愛と冒険

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  • サイズ B6判/ページ数 324p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784622080558
  • NDC分類 953
  • Cコード C1397

出版社内容情報

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「優等生フルニエ、劣等生ラディゲ。死からほんのわずか脱け出して、やがてまたすぐそこへ帰ってしまったこの二人の近眼の人間は、お互いにちっとも似ていはしなかったが、彼らの残した小説は、植物や動物の世界以上にわれらにとって未知の世界である子供の世界の神秘を伝えてくれる」――ジャン・コクトー

この小さな本のページを何度めくったことだろう。期末試験がおわるたびに。そして私はフランス語の勉強をはじめ、《グラン》のRの発音をひびかせることに熱中した。」(解説「エピヌイユ村まで」)

アラン=フルニエ(Alain-Fournier)
1886年、フランス中部はシェール県の田舎町、ラ・シャペル=ダンジロンに生まれる。両親は小学校の教師で、父親の赴任先であり本作の舞台のモデルとなったエピヌイユ=ル=フルーリエル村で幼少年期を過ごす。1898年、パリのリセ・ヴォルテールに入学。1901年、海員になる夢を胸に港町ブレストの高等中学校に編入するも挫折、その後いくつかの学校を転々とする。1908年、兵役義務を果たすため入隊。この間、のちに『奇蹟(Miracles)』としてまとめられる詩や散文を書いた。兵役終了後「パリ日報」の記者となり文芸欄を担当するが、1912年に退社。1913年、長年あたためてきた小説『グラン・モーヌ』を完成させ、「NRF(新フランス評論)」誌に連載、同年10月にはエミール・ポール社から単行本として刊行する。本作はいきなりゴンクール賞候補になるも落選。翌年1914年、第二作目となる未完の小説『コロンブ・ブランシェ』に着手する。同年、第一次世界大戦の勃発により出征。ドイツ軍と砲火をまじえたヴェルダンの南で20人の連隊兵とともに消息不明となる。遺体がドイツ軍の共同墓穴で発見され、1991年に本人と判定された。現在、サン=レミ・ラ・キャロンヌの陸軍墓地に眠る。享年27歳。

長谷川四郎(はせがわ・しろう)
1909年、北海道に生まれる。法政大学文学部独文科卒業。満州鉄道株式会社に入社し、大連や北京で欧文資料の収集整理、シベリヤ調査に従事。1942年に退社後は満州国協和会調査部に入り蒙古班に所属。1944年、軍に召集され、ソ連国境の監視哨に配属。翌年8月よりソ連軍の捕虜となり5年間にわたってシベリア各地の捕虜収容所を転々とする。帰国後の1952年『シベリヤ物語』(筑摩書房)を発表。以後、小説だけでなく、詩、戯曲、エッセイなど個性的な執筆活動を続けた。著書に『鶴』(1953)『中国服のブレヒト』(1973、以上、みすず書房)『九つの物語』(1980、青土社)、訳書に、デュアメル『パスキエ家の記録』(全10巻、1950-1952)『ブレヒト詩集』(1978、みすず書房)ほか。 1987年没。

内容説明

背が高く、考え深げで、自由に生きる少年、オーギュスタン・モーヌ。この神秘的な転入生に、憧憬にも似たやさしいまなざしを向けつづける、寄宿先の教師家族の息子で語り手のフランソワ。ある日、授業を抜け出したモーヌは、迷い込んだ不思議な館で美しい娘イヴォンヌと運命的な出会いを果たす。だが、それは、人を愛するという新しい探索の旅の始まりでもあった―。夭折の仏作家がただ一作のこした、みずみずしくも切ない青春文学の記念碑を、長谷川四郎の雄渾な訳文でおくる。巻末の解説は、小説の舞台、エピヌイユ=ル=フルーリエル村を訪ねた森まゆみによる、作家と作品をめぐる旅。

著者等紹介

フルニエ,アラン[フルニエ,アラン][Fournier,Alain]
1886年、フランス中部はシェール県の田舎町、ラ・シャペル=ダンジロンに生まれる。両親は小学校の教師で、父親の赴任先であり本作の舞台のモデルとなったエピヌイユ=ル=フルーリエル村で幼少年期を過ごす。1898年、パリのリセ・ヴォルテールに入学。1901年、海員になる夢を胸に港町ブレストの高等中学校に編入するも挫折、その後いくつかの学校を転々とする。1908年、兵役義務を果たすため入隊。この間、のちに『奇蹟(Miracles)』としてまとめられる詩や散文を書いた。兵役終了後「パリ日報」の記者となり文芸欄を担当するが、1912年に退社。1913年、長年あたためてきた小説『グラン・モーヌ』を完成させ、「NRF(新フランス評論)」誌に連載。翌年1914年、第二作目となる未完の小説『コロンブ・ブランシェ』に着手。同年、第一次世界大戦の勃発により出征。ドイツ軍と砲火をまじえたヴェルダンの南で20人の連隊兵とともに消息不明となる。遺体がドイツ軍の共同墓穴で発見され、1991年に本人と判定された。現在、サン=レミ・ラ・キャロンヌの陸軍墓地に眠る

長谷川四郎[ハセガワシロウ]
1909年、北海道に生まれる。法政大学文学部独文科卒業。満州鉄道株式会社に入社し、大連や北京で欧文資料の収集整理、シベリヤ調査に従事。1942年に退社後は満州国協和会調査部に入り蒙古班に所属。1944年、軍に召集され、ソ連国境の監視哨に配属。翌年8月よりソ連軍の捕虜となり5年間にわたってシベリア各地の捕虜収容所を転々とする。帰国後の1952年『シベリヤ物語』(筑摩書房)を発表。以後、小説だけでなく、詩、戯曲、エッセイなど個性的な執筆活動を続けた。1987年没
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

ケイ

105
新しい訳があるのを知らず、この1952年に訳された版を読んだために、訳の読みにくさに苦労した。この本がフランスで話題となった頃にパリにいたフィッツジェラルドは、この話にインスピレーションを受けてギャツビーを書いたという噂もあるようだ。賢く、身体も大きくて、冒険心に富んだモーヌは、冒険から恋に出会う。しかし、彼には恋が全てではなかった。彼が激しく友情の念を抱いた男にみせた友情のために、彼の愛する人や語り手である作者は翻弄される。100年前に書かれたということを感じさせない名作。2015/05/08

arianrhod

5
何の予備知識もなく読みだした本。でも大好き。映画は観たことはないのだけれどなんとなくこんな感じの映像ではなかったのかと美しいフランスの田舎の風景と昔の人々が浮かんできます。なるほど映像にしたくなる気持ちが解る。私の口から言うのは非常におこがましい事ですが、本人の経験もいかしたストーリーとはいえ、真に練られた筋かといえばそうでなく、耽美的なここが書きたい描きたいの連続のようで都合よすぎにも。しかし19世紀にごく当たり前のルールを理解した上で飲み込めば、地元の人には偲びやい風景と生活なのかもです。(続く) 2018/09/04

Nanonoboy

2
ENS(&シアンスポ~MIT)の友人の推薦本。Toursはロワール地方-17000人バスティーユの悲劇。2011/09/14

teddy11015544

2
何かを手に入れようとして、失っていく物語。訳が美麗になるところが読みにくかった。フランス文学の宿命?私の読解力の限界?2011/08/08

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