出版社内容情報
アーレントと彼女を支えた夫との書簡集。ハイデガー問題、アイヒマン事件も含め、アーレントの思考、活動、人間性を知る重要資料。
話題の映画『ハンナ・アーレント』でもわかるように、アーレントとハインリヒ・ブリュッヒャーは夫婦として深く強く結びついていた。その二人が交わした書簡は、ヤスパースやハイデガーとの往復書簡にまして、時代の幅と事柄、その思索と活動、人間性など、アーレントの思想と人と生きた時代を知るきわめて重要な資料であり読み物である。ナチスドイツから亡命後のパリ時代からアイヒマン裁判に臨んだ時期の書簡も含め306通。
序文/編者注記/第1部 1936年8月‐1938年10月/第2部 1939年9月‐12月/第3部 1941年7月‐8月/第4部 1945年8月‐1948年8月/第5部 1949年11月‐1951年6月/第6部 1952年3月‐8月/第7部 1955年2月‐6月/第8部 1955年9月‐12月/第9部 1956年10月‐11月/第10部 1958年5月‐10月/第11部 1959年9月‐10月/第12部 1961年2月‐6月/第13部 1963年2月‐3月および1968年9月/ハインリヒ・ブリュッヒャーの講義/訳者あとがき/付録・二人の年表とアーレントの旅程/索引
内容説明
ハンナ・アーレントと彼女を支えつづけた夫ハインリヒ・ブリュッヒャーとの往復書簡306通。パリ亡命時からアイヒマン事件後まで、時代と数々の事件を背景に、二人の思想的対話の全容をしるす。
著者等紹介
アーレント,ハンナ[アーレント,ハンナ] [Arendt,Hannah]
1906‐1975。哲学をフッサール、ハイデガー、ヤスパースのもとで学ぶ。1933年パリに、1941年ニューヨークに亡命。1963年からシカゴ大学で、1967年からニューヨークのニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチで哲学教授
ブリュッヒャー,ハインリヒ[ブリュッヒャー,ハインリヒ] [Bl¨ucher,Heinrich]
1899‐1970。独学者、1933年パリに、1941年ニューヨークに亡命。1950年からニュー・スクール・フォア・ソーシャル・リサーチで教え、1952年からバード大学教授
ケーラー,ロッテ[ケーラー,ロッテ] [K¨ohler,Lotte]
1925‐2011。ローストック生まれ、ハンス・ザーナーとともに『アーレント=ヤスパース往復書簡』を編集。1990年からハンナ・アーレント・ブリュッヒャー文書委託機関(Hannah Arendt Bl¨ucher Literary Trust)管財人
大島かおり[オオシマカオリ]
1931年生まれ。東京女子大学文学部卒業。翻訳家
初見基[ハツミモトイ]
1957年生まれ。東京都立大学大学院博士課程退学。ドイツ文学専攻。現在、日本大学教員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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