最後の授業―心をみる人たちへ

個数:

最後の授業―心をみる人たちへ

  • ウェブストアに2冊在庫がございます。(2024年04月26日 22時29分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ B6判/ページ数 193p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784622075431
  • NDC分類 146.1
  • Cコード C0011

内容説明

“心”の時空に想いをこらし、患者と傷つきや罪悪感を共に見つめてきた精神分析家として、“心”をみる、診る、看る知恵と技術を伝えたい―。「最後の授業」のすべてを収録。二者間の内的交流を重視する対象関係論の論者として、『古事記』や「鶴の恩返し」などの神話や昔話に紡がれた男と女、母親と子ども、そして日本人の「心の台本」を読み取ってゆく。

目次

1 最後の授業―テレビのための精神分析入門(テレビのための授業という実験;テレビ的状況を精神分析的に考える;心には裏の意味がある ほか)
2 最終講義“私”の精神分析―罪悪感をめぐって(私と精神分析;「心の無意識の台本」;罪悪感をめぐって ほか)
3 「精神分析か芸術か」の葛藤―フロイトは私のことが嫌いだと思うことから(フロイトへの旅;フロイトの汽車不安;フロイトの中の三角関係 ほか)

著者等紹介

北山修[キタヤマオサム]
1946年淡路島生まれ。精神分析医。’72年、京都府立医科大学卒業後、札幌医科大学内科研修生を経て、ロンドンのモーズレイ病院およびロンドン大学精神医学研究所にて2年研修。帰国後北山医院(現南青山心理相談室)院長。1991年10月より九州大学教育学部で教鞭をとり、2010年3月まで九州大学大学院人間環境学研究院・医学研究院教授。前日本精神分析学会会長。医学博士。ミュージシャンとして、’65年、大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズ結成に参加し、’67年「帰って来たヨッパライ」が代表作(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

KAZOO

114
私と同年代で、「フォーククルセーダーズ」のメンバーでむかしからのファンです。音楽やエッセイなどを読んできて様々な精神分析の本などもものにしてずうっと後を追いかけてきました。頭のいい人だと思っていました。これは九州大学の最後の授業をまとめたもので、テレビなどでも放映されてわかりやすいものだと思います。土居健郎さんや木村敏さんの後継者となるのではないかと思っていました。2016/04/13

しいたけ

48
北山修さん、物凄い経歴の持ち主だと改めて思う。九州大学を退官されるときの「最後の授業」「最終講義」などを収録している。「夕鶴はキリストだった」という話が面白い。よく似ているという。また「面と向かっていると相手の心の裏を空想しない。でも顔をそむけると私はあなたが何を考えているのか想いはじめる」に、読メでの人の繋がりを思った。「人はたいてい探しているものしか見つけないものであり、人が何かを読むということは私の中にあるものを投影して読んでいる面がある」に納得。それから悲しい再確認。私はフロイトを理解出来ない。2016/02/28

KEI

37
大好きだったフォークルの北山修さんが九大の精神科を2010年に退官する時の最後の講義録。マスコミやsnsの時代に1人の個の心の問題を扱う専門家としての心構えを伝えている。精神分析とは?臨床家としてのあり方を、フロイトや古事記、鶴女房などの例えを入れながら説明していた。心には表と裏があり精神分析ではその裏を言語化する事で意識化する事が必要との事。印象的だったのは「臨床家としては相手(患者)の心の鏡となり、相手の心の傾向を映し出す事が必要」という所だった。精神分析の素人には後半は難しかった。2022/11/05

kayak-gohan

25
著者の20年にわたる九州大学での最終講義。セラピストは人間の裏の面を取り扱う仕事である。患者が心おきなく自らの裏側をセラピストに語ってくれるためには、セラピストが患者との間に「ここだけの話」という空間を意識して設けておく必要があるという。セラピストと患者の間はパーソナル・コミュニケーションの世界であり、そのためにはセラピストは自分自身の裏側を見せないようにすることが必要だという。2023/11/13

マリリン

15
著者の詩が好きだったのと、心理学に興味があるので手にした本。内容は大学の講義だが学生に戻りたくなった。映像は想像力を奪う...という言葉は納得できる。それだけが理由ではないが、私はテレビを見ない。読書の楽しみの一つは読みながら作品を無意識に脳裏で映像化する事かもしれない。最終講義の『<私>の精神分析』も興味深い。話す事や書く事で気持ちの整理がつくのは無意識な心の部分が表面にでてくるからなのだろうか。『古事記』は是非読んでみたい。『精神分析か芸術かの葛藤』でフロイトが登場するが、この部分も興味深かった。2018/04/03

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/624444
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。