ヨーロッパに架ける橋〈上〉―東西冷戦とドイツ外交

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  • サイズ A5判/ページ数 260,/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622074786
  • NDC分類 319.34
  • Cコード C1022

出版社内容情報

1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊。それからドイツ統一までの329日は、疾風怒濤の合併劇だった。
ガートン・アッシュは、旧西ドイツの政治家たちが、悲願の統一を目指していかに奮闘したか、そして誰もが諦めたころに、どうして統一に成功したかを描く。
歴史の原動力となったのは、1969年に西独首相ブラントの打ち出した「東方政策(オストポリティーク)」だった。主眼は、それまでの西側一辺倒をやめて大陸全域を見渡し、まず東西ヨーロッパの分断解消を優先すること、そしてその枠内でドイツ統一を実現することにあった。こうしてNATO、ソ連、東欧諸国、東ドイツのすべての面子を立てる「綱渡り」外交が始まる。それは政権交替後も継承され、「オストポリティーク」はドイツ語のまま世界に認知された。
著者は東欧と中欧を知り尽くした歴史家=ジャーナリストの第一人者で、オクスフォード大学教授。7年かけて旧東独の機密文書をはじめ膨大な資料を読み、ブラント、コール、ゲンシャーからシェワルナゼ(モスクワ)、ホーネッカー(収監中)、キッシンジャーにまでインタビューしている。
語られるのは「東方政策」の展開の全容。コールとゴルバチョフの頂上会談の内容、西ドイツから東ドイツへ支払われた巨額の政治犯引渡し代金や、「陸の孤島」西ベルリンへの通行税、ポーランドの「連帯」への西独政府の対応と東欧少数民族の反応まで、綿密な調査に支えられたディテールが迫力に満ちている。
英語、ドイツ語、オランダ語で同時刊行され、各国で高い評価を得た傑作。全2巻。

内容説明

1989年、時の勢いに乗ってベルリンの壁が崩壊。しかしその陰に、四半世紀におよぶ旧西ドイツの透徹した外交努力があった。ブラントの東方政策と東西両陣営の確執を描くル・カレ絶賛の歴史書。

目次

プロローグ 全ヨーロッパの課題(何が真の課題なのか;ヤルタ ほか)
1 ドイツの解答(分断の中心;ヨーロッパ平和秩序 ほか)
2 東方政策(オストポリティーク)(東方政策は「ひとつ」だったのか;ひとつの単語をめぐって ほか)
3 ボン=モスクワ=ベルリン(「われわれの最重要課題」;道はベルリンから ほか)
4 ドイツとドイツ(基礎条件;思想、ことば、行動 ほか)

著者等紹介

アッシュ,ティモシー・ガートン[アッシュ,ティモシーガートン][Ash,Timothy Garton]
1955年英国生まれ。オクスフォード大学で近現代史、とくにヒトラー政権にたいするレジスタンスについて学ぶ。冷戦下の両ドイツに滞在し、ベルリン自由大学、フンボルト大学で研究。1990年よりオクスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで教鞭をとるほか、現在はスタンフォード大学フーバー研究所上級研究員も務める。中欧・東欧情勢などに関してしばしば新聞・雑誌に執筆

杉浦茂樹[スギウラシゲキ]
1959年東京生まれ。慶応大学文学研究科修士課程修了。翻訳者。『ニューズウィーク日本版』『ナショナル・ジオグラフィック日本版』の翻訳・編集に創刊時から携わる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

たけふじ

2
図らずもロシアによるウクライナへの侵攻の時期に読んだ。「接近による変化」を掲げた東方外交の根底にあったものは、ソ連であり東ドイツへの「(ベルリンの壁は)弱さの象徴であり、恐怖と自己保存欲求の証」(p214)という分析だった。この分析は正鵠を得たものであり、西ドイツは経済支援や「現状承認」をもって東ドイツ(とその背後にいるソ連)に安寧を与え続けた。逆から捉えれば「拡大する西側に対し、自分たちは脆い」というロシアの認識は、2022年の今もここから何ら変わってないのだろう。2022/03/19

たけふじ

1
なぜ西独はアデナウアーの「力の外交」から東方外交に舵を切れたのか。それは英仏を初め西側諸国が再統一を望んでいないことや、米国が61年のベルリンの壁構築の際に何も手を打たなかったことなど、西側同盟に頼っていても再統一は成し遂げられないと見切ったからなのだろう。そこで現れるのがブラントとバール、そして「接近による変化」。東独の頭越しに対ソ交渉を進めること。経済協力と現状承認で東側とのチャネルを持ち続けること。最低限の人道的目標から入ること。一直線に統一に向かったわけではないが、西独はこの路線を堅持していく。2021/05/06

yellow0702

1
学術書としては驚異的なほど面白かった。冷戦期の東西ドイツという大きなテーマながら、その背後にいるのは人間なのだと思い知らされた。2017/02/27

メルセ・ひすい

1
ヨーロッパ近代史研究2009/10/31

たけふじ

0
卒論でもお世話になったが、改めて再読。西ドイツの「東方政策」の変遷と、実際に東側に与えた影響を探る上下本の上巻。アデナウアー時代から始まっているとはいえ、東方政策の先陣を切ったのはブラント。「現状の承認」を行うことで東ドイツの安定化を図り統一交渉の進展を目指そうとする彼の政策は一般的には成功だったとみなされる。しかし東ドイツ国内ではその「安定」によって独裁者たちが私腹を肥やしていた…という筋書き。東方政策の功罪を俯瞰的に捉える作品であり、冷戦~ドイツ再統一までをまとめた大著。2015/10/08

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