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アーレント=ヤスパース往復書簡 1926‐1969〈2〉

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  • サイズ A5判/ページ数 305p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622071068
  • NDC分類 311.234
  • Cコード C3010

内容説明

マッカーシーのアメリカ、ハンガリー事件、J.F.ケネディの登場、アイヒマンの誘拐と裁判…歴史と同時代への責任をになった二人の思想家の真摯な対話の全貌を刻んだ1953‐1961年の150通。

目次

K.ヤスパースからH.アーレントへ(一九五三年一一月二七日)
H.アーレントからK.ヤスパースへ(一九五三年十二月二一日)
K.ヤスパースからH.アーレントへ(一九五四年二月七日)
H.アーレントからK.ヤスパースへ(一九五四年二月一九日)
H.アーレントからK.ヤスパースへ(一九五四年五月九日)
K.ヤスパースからH.アーレントへ(一九五四年五月一四日)
K.ヤスパースからH.アーレントへ(一九五四年五月一四日)
H.アーレントからK.ヤスパースへ(一九五四年七月二四日)
K.ヤスパースからH.アーレントへ(一九五四年八月二九日)
H.アーレントからK.ヤスパースへ(一九五四年一〇月六日)
海洋環境保護の歴史
海洋法の発展の軌跡と展望

著者等紹介

アーレント,ハンナ[アーレント,ハンナ][Arendt,Hannah]
1906年10月14日、ドイツのハノーファー近郊リンデン生まれ。1975年12月4日、ニューヨークで死去。おもにハイデガー、ブルトマン、ヤスパースのもとで哲学・神学・ギリシャ古典学を学び、1928年、ヤスパースに博士学位論文を提出した。1933年にパリ、1941年にはニューヨークに亡命。1946年から1948年まで編集者の仕事に従事、その後は自由な執筆活動を展開し、1963年からは教授職に就いた

ヤスパース,カール[ヤスパース,カール][Jaspers,Karl]
1883年2月23日、ドイツのオルデンブルク生まれ。1969年2月26日、スイスのバーゼルで死去。法学・医学・心理学を学ぶ。1916年に心理学教授、1921年からはハイデルベルク大学の哲学教授に就任。ヒットラー政権下の1937年にヤスパースは職を解かれたが、1945年に復職、その後1948年から1961年まではバーゼル大学の哲学教授をつとめた

大島かおり[オオシマカオリ]
1931年生まれ。東京女子大学文学部卒業
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

いとう・しんご singoito2

4
第1巻は戦後の食糧難や郵便事情の混乱の時代が中心だったけれど、第2巻では暮らし向きも落ち着いてきて、でも、ヤスパース夫妻はゆっくりと老境に入る一方、アレント夫妻はますます大活躍へ。アイヒマン裁判の開始、ベルリンの壁建設などいよいよ時代は切迫していく。ハイデガーのことは、もうあまり話題にならないけれど書簡293,296,287は推しさんには興味深いかも。いよいよ第3巻へ。2022/06/05

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