余白の芸術

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余白の芸術

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  • サイズ A5判/ページ数 385p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784622044239
  • NDC分類 704
  • Cコード C1071

出版社内容情報

鮮やかな余白を求めて国際的に活躍する美術家が自身の芸術、作家たち、ものと言葉について綴る。

カンバスの上に一つの点を打つと、辺りの空気が動き出す。一筆のストローク、一個の石、一枚の鉄板は、外との対応において力に漲る生きものとなり、物や空間が呼応し合って、鮮やかに響きわたる余白が生まれる――1970年代、有機的な組替えやズラしによって、外の空気を浸透させ他を受け入れる作品を精力的につくり、あるがままをアルガママにする仕事をした「モノ派」、その運動の柱として知られ、国際的に活躍する李禹煥の著作を集める。

自身の芸術について、セザンヌやマチスに始まり、ゲルハルト・リヒター、ペノーネ、若林奮、白南準ら現代芸術の旗手たち、古井由吉や中上健次などの作家たちについて、そして、ものと言葉について…
自分と、自分をとりまく外の世界。その境界にあたらしい刺激的な見方を開く。

受賞情報:
第13回 高松宮殿下記念世界文化賞を著者李禹煥さんが受賞

書評情報:
松山 巌さん/朝日新聞 2001.2.4)


李禹煥(リ ウファン)
美術家。1936年、韓国慶南地方に生まれる。文人として知られた黄東蕉から幼年期を通して詩・書・画を教わる。1956年、ソウル大学校美術大学を中退し、来日。1961年、日本大学文学部卒業。1967年、東京・サトウ画廊にて新しい試みの最初の個展、以後、前衛的な芸術表現を追求しながら国際的に活躍。1968年頃から起こった「もの派」運動の柱として知られ、パリ・ビエンナーレ、カッセル・ドクメンタ他多くの国際展に出品、デュッセルドルフ・クンストハーレ、パリ・ジュ・ド・ポム美術館、神奈川県立近代美術館をはじめ、国内外の美術館などで個展。前パリ国立エコール・ド・ボザール招聘教授。現在、多摩美術大学客員教授。

作品集『LEE UFAN』(1986,美術出版社),『LEE UFAN』(1993,都市出版),『李禹煥全版画 1970-1998』(1998,中央公論美術出版)ほか。著書『時の震え』(1988,小沢書店),『出会いを求めて』(1971, 田畑書店 2000,美術出版社),“Selected Writings by Lee Ufan 1970-1996”(1996,Lisson Gallery, London)

内容説明

1970年代、有機的な組替えやズラしによって、外の空気を浸透させ他を受け入れる作品を精力的につくり、あるがままをアルガママにする仕事をした「モノ派」、その運動の柱として知られ、国際的に活躍する李禹煥の著作を集める。そして著者自身の芸術について、セザンヌやマチスに始まり、ゲルハルト・リヒター、ペノーネ、若林奮、白南準ら現代芸術の旗手たち、古井由吉や中上健次などの作家たちについて、そして、ものと言葉について…自分と、自分をとりまく外の世界。その境界にあたらしい刺激的な見方を開く。

目次

余白の芸術
さまざまな作家
芸術の領分
新しい表現の場のために
ものと言葉について

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

A.T

24
今、国立新美術館で回顧展「李禹煥」を開催(2022年11月7日まで)しているので、あわてて読了。芸術とは何か?を問い続けるエッセイ集で、これだけ読んでおけば美術館へも行かずに記憶を頼りに脳内美術鑑賞ができそうなんだけど、やっぱり作品にで会いたくなって足を運ぶことになりそうだ。「世界が感じられたり見えるということ自体が不思議であるが、普段は目に止まらなかったものが、なぜかふとした拍子に鮮やかに見える、物と辺りがパッと開く瞬間がある…」2022/08/18

Nepenthes

3
坂本図書で挙げられていたので手に取った。感想として哲学書のような。「ある空間に何かを加えることでその空間が意味を持つ」という関係性こそが余白なのかなと。真っ白なキャンバスに点を打つことでその点が何かに見え、またその周りの空間もその点と関係する何かに見えてくる。白、地、空間、そういうものに魅かれていてそれを活かすためにモノを置いたりして演出を施す。感覚が洗われるような一冊でした。2025/02/15

Yoshi

3
瀬戸内の直島の李禹煥美術館でその作品の立ち位置の曖昧さや、そのわりに何とも言えない澄んだ空気感にノックアウトされ読んでみた。 自然物と人工物や物と場所、間にいる事を徹底しているようで名をつけがたき者、無名性の話とかも面白く読ませてもらった。 作品と考え方が一致してるように感じるのも作品から感じる静謐さや考え方が濃縮されて表現成されているのだなと読んでいて思いました。 無の場所から関係性、広がりを自然物と人工物と場を使い紡ぎ出す。2019/11/12

ルートビッチ先輩

3
芸術家として存在する。このことは、モノ派と呼ばれるリ・ウファンの作品が自然物を展覧会場に持ち込み作られるものであるということを知っているとき、意味不明なことと聞こえるかもしれない。しかし彼の芸術は、あるいは芸術家としての彼は、その自然物を動かす手の働きの内に存在する。彼は、頭であり、外部であるという手の両義的な場所としての性質を強調する。それによって近代的な実体主義的対象物の表象としての芸術ではなく、「関係」と言われる外部への広がりを持った作品を創り出す。広がりある曖昧な場所のことを余白と呼ぶ。2015/07/06

のんたんの

3
『形も色も無く、眼に見えない世界をあたかも見えるかの様に、音で組み立てる作曲こそ、もっと偉大な仕事に思えた。しかしぼくは、ついに作曲家にはなれなかった。最も軽蔑してた画家彫刻家になった。そして皮肉にも、形も色もある眼に見える物を、見えない世界へと解け込ませる仕事に励んでいる。』2009/11/25

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