出版社内容情報
知覚世界の記述から対自存在と世界内存在、そして自由の考察へ。実存の両義性をきめ細かに描く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
グスタフ
6
〈われ〉とか〈主観〉とかいった、不動の自我ともいえるものがあって、それが外部の世界を総合するというのではない。われわれが確実にこの世界の中で生きて、意欲する対象を持ち、そこにいる他者にふれ、憎しみ、愛することでしか、このわたしや世界を知り、語ることはできない。時間にしても、それは認識の形式というよりは、時間は〈生の意味〉であり、もっと単純に、われわれにとって時間が意味を持つのはわれわれが「時間である」からでしかないとメルロは語る。2014/03/12
井蛙
2
メルロ=ポンティの後期フッサールの議論を独自に敷衍したものと言える。彼が反省や理論以前へと立ち返る地点は世界から生まれ、かつ世界へと生まれる世界内存在としての人間の両義的な身体のあり方である。この身体の存在構制は自由か不自由か、自己か他者かという問題以前のものである同時にそれを可能にするものですらある。かくして私たちは無記名の実存、無記名の個的存在と無記名の一般存在の二重化として分析される。こうしたメルロ=ポンティの理論以前の存在のあり方を理論的に明らかにしてゆく手つきはとてもスリリングだ。2018/01/31
yutayonemoto
1
全くもってなるほどなのであるが、上手にまとめることはできない。構成の意図はよく分かる。もう一回上下巻読み直さないと。2017/03/16
☆☆☆☆☆☆☆
1
やっと読み終わた~ 週末が完全に潰れた。。。ハイデガーのときも思ったけど、時間の話が出てくると途端に理解度が落ちるなぁ。西洋哲学における時間の問題系をきっちり抑える必要がありそうだ。2015/10/04
ほびっと
1
最後の自由の部分はよくわからんなー2013/02/18