出版社内容情報
昨今、「応仁の乱」や「観応の擾乱」など鎌倉・室町から戦国にかけての中世史が注目を集めている。「元寇」をテーマになぜ日本に攻めてきたのかを当時の大陸における勢力図やフビライの思考を追いつつ、朝鮮・シナ史、ひいては東アジア全体の歴史を俯瞰。最後に現代的テーマと結び付けていく。
内容説明
強国モンゴルに必死に取り入り、「元」の日本遠征に自ら名乗りをあげた当時の高麗と現代の朝鮮半島の姿は、いろいろな面でオーバーラップする…。対外的に反省しすぎると世界では“弱い”とみなされる―二度の「元寇」から日本は何を学んだのか。海を渡ってやって来たのは本当にモンゴル人だったのか!?
目次
第1章 日本人のモンゴル観
第2章 モンゴルとは
第3章 高麗とは
第4章 蒙古襲来前夜
第5章 大陸から見た元寇
終章 その後
著者等紹介
宮脇淳子[ミヤワキジュンコ]
1952年、和歌山県生まれ。京都大学文学部卒、大阪大学大学院博士課程修了。博士(学術)。専攻は東洋史。東京外国語大学・常磐大学・国士舘大学・東京大学などの非常勤講師を歴任。最近は、ケーブルテレビやインターネット動画で、モンゴル史、中国史、韓国史、日本近現代史等の講義をしている。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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まーくん
95
蒙古襲来にモンゴル人はいなかった?蒙古襲来は正しくは元寇と呼ぶべきだとする。日本遠征軍の構成は元の属国になっていた高麗を主力に、女真人や契丹人、漢人などから成り、少なくとも元軍を率いる将軍の中には二回目の弘安の役の時の江南軍の一人(阿塔海)を除いてモンゴル人はいなかった。その他には、神風(台風)の影響・評価を含め最近の定説と大きく違う点はなかったが、余り馴染みのない朝鮮の歴史について『高麗史』を読み解いて解説しており勉強になった。ただ、必要以上に朝鮮について、あげつらっているのは如何なものかと思う。2022/11/29
南北
39
通常は日本からの視点で語られることの多い「蒙古襲来」を大陸側の元や高麗から語ったものです。蒙古襲来に参加したモンゴル人は少なく、ほとんどが高麗人や契丹人、女真人、さらには中央アジア出身の混成軍だったことがわかります。騎馬戦が得意なモンゴル人が船に乗ってきたのかについては昔から疑問だったのですが、改めて再確認できました。著者は20年以上、日本征服を諦めなかった理由を日本担当の役所が続行しようとしたからだとしていますが、遊牧帝国は一般的に征服を継続しないと求心力を失う点も指摘すべきだったと思います。2019/10/18
HMax
24
モンゴル帝国について勉強のできる良書、付箋だらけになりました。モンゴル帝国、蒙古、元は同じだと思っていたが大間違い。モンゴル帝国が4つに分かれ、シナ(China)の地を治めたのが元。そこが日本を攻めたのだから元寇が正しい。モンゴル帝国による支配形態は征服した様々な民族を使った代官による請負制、だから高麗も属国となり税金を納めることで存続し得た。 モンゴル帝国となる前の遊牧民が与えた影響が貴重な小ネタ:まず有名な匈奴(フン)→ゲルマン民族の大移動、鮮卑(シビル)→シベリア、突厥(チュルク)→トルコ。2019/10/27
軍縮地球市民shinshin
19
「蒙古襲来」という言葉は鎌倉時代からあるが、著者は「元寇」が良いと主張。なぜなら「蒙古」とはいえ実態は高麗人、契丹人、女真人、中央アジアの諸部族の混成軍であったから。モンゴル兵がどれほど混じっていたのか疑問とする。「蒙古襲来絵詞」を見ると肌が浅黒い「蒙古兵」が目立つ。フビライは元の太祖なので、元が攻めてきたというのが正確。フビライ時代はモンゴル帝国は分裂しており、元が攻めた来た=元寇が最も実情にふさわしいとのこと。高麗は元に蹂躙されて、かなりひどい目に遭っていることを知った。属国とはこんな感じなのだな、と2019/08/27
ようはん
18
元王朝及び高麗の視点からの元寇に至るまでの課程や井上靖「蒼き狼」等の関連作品の考察辺りが良かった。しかし事あるごとに嫌韓要素を入れており、どちらかといえば韓国や朝鮮関連に好意的ではない自分が読んでても次第に嫌韓を強調している点が増えていくのは気になり、本のテーマとずれて余計な感じあった。2020/04/01
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