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出版社内容情報
三木清、高坂正顕、高山岩男、申南澈、金南天、朴致祐などの転換期を生きた知識人たちは、いかに「近代」と向き合い、それを乗り越えようとしたのか。戦時期日本で大きな影響力をもった「近代の超克」をめぐる議論を、同時代の植民地朝鮮との関係に焦点を当てて読み直し、一国史を超えた歴史意識を剔出する。抵抗か協力かという二元論的な枠組みを問いに付し、帝国主義の構造を再考する画期的な試み。
内容説明
三木清、高坂正顕、高山岩男、申南〓、金南天、朴致祐などの転換期を生きた知識人たちは、いかに「近代」と向き合い、それを乗り越えようとしたのか。戦時期日本で大きな影響力をもった「近代の超克」をめぐる議論を、同時代の植民地朝鮮との関係に焦点を当てて読み直し、一国史を超えた歴史意識を剔出する。「抵抗」か「協力」かという二元論的な枠組みを問いに付し、帝国主義/植民地主義の構造を再考する画期的な試み。
目次
序章 転換期の歴史意識と思考―一九三〇~四〇年代、植民地朝鮮と“近代の超克”
第1章 “民族”という陥穽―「東亜協同体」‐「内鮮一体」論と植民地朝鮮
第2章 「世界史の哲学」の蹉跌―三木清と高山岩男の異/同
第3章 「世界史の哲学」のアポリア―植民地朝鮮の不在/存在
第4章 “東洋”の射程―申南〓の歴史哲学のゆくえ
第5章 憂鬱な種蒔く人―金南天の小説実践と“歴史”
第6章 「学」と「思想」のあわいで―朴致祐「東亜協同体論の一省察」再読
第7章 すれ違う運命―三木清と朴致祐の歴史哲学における“非合理的なもの”の位相
終章 歴史に佇む―“躊躇”の余白
著者等紹介
閔東曄[ミンドンヨプ]
韓国ソウルで生まれ、のちに京畿道で暮らす。2006年に来日し、2012年に横浜国立大学教育人間科学部国際共生社会課程卒業。2021年に東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士後期課程修了。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構韓国学研究センター特任研究員・特任助教、東北学院大学教養教育センター助教を経て、2024年4月より都留文科大学教養学部比較文化学科准教授。専攻は、韓国・朝鮮地域を中心とした近現代東アジア思想・文化史、日韓関係、ポストコロニアル研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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