出版社内容情報
哲学において〈視覚〉はいかに論じられてきたか。歴史的・文化的制約をこえて、われわれの〈みる〉という経験を語ることは可能か。ギリシア哲学から現象学、精神分析、批判理論、脱構築、フェミニズムへ、アメリカの思想史家マーティン・ジェイの浩瀚な視覚論『うつむく眼』をめぐる日本の研究者からの応答を編んだまったく新しい〈視覚思想史〉論集。ジェイの日本講演「融合する地平?」を付す。
内容説明
哲学において視覚はいかに論じられてきたか?歴史的・文化的制約をこえてわたしたちの“みる”という経験を語ることは可能か?古代哲学から現象学、精神分析、批判理論、脱構築、フェミニズムまで。マーティン・ジェイの視覚論『うつむく眼』に対する日本からの応答を編んだ“視覚思想史”論集。ジェイの日本講演『融合する地平?』を収録!
目次
融合する地平?―日本における『うつむく眼』
ソクラテスの鏡―見る哲学者、聴く哲学者
視覚中心主義とニーチェ―“不動の視点”から“視点の自在な切り替え”へ
見ること、見えなくなること、見えるようにすること―リルケの経験
フッサール現象学における「見る」ことと動機づけ
ハイデガーと「視覚中心主義」を巡って―マーティン・ジェイへの応答
照明の弁証法
メルロ=ポンティの知覚論―マーティン・ジェイ『うつむく眼』の周囲で
視覚の狂気とイカロスの眼差し―メルロ=ポンティ、ビュシ=グリュックスマン、マーティン・ジェイにおける視覚体制と間文化性
見ないことの倫理―レヴィナスの他者論における視覚の位置づけ
空気に触れる眼―イリガライと触覚的視覚
Frag-mentとしての世界―ジェラール・グラネスの視覚論と絵画論
視覚の脱構築/権威剥奪―ジェイ『うつむく眼』からデリダ『触覚』へ
視覚と新自由主義―見えることと「見えないこと」
著者等紹介
加國尚志[カクニタカシ]
立命館大学文学部教授。哲学専攻
亀井大輔[カメイダイスケ]
立命館大学文学部教授。哲学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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