内容説明
哲学史家ドゥルーズの初期代表作。直観や持続、記憶の理論を精査し、差異と多様体の概念を創造することでその後のベルクソン解釈を完全に塗り替えるとともに、ドゥルーズ自身の哲学をも決定づけた古典。潜在性と現勢性とはいかなる関係にあり、持続の一元論とは何を意味するのか?長く親しまれた『ベルクソンの哲学』から40年以上を経て、近年の研究動向を取り入れた新訳刊行。
目次
第1章 方法としての直観
第2章 直接与件としての持続
第3章 潜在的共存としての記憶
第4章 持続は一なのか多なのか
第5章 分化の運動としてのエラン・ヴィタール
著者等紹介
ドゥルーズ,ジル[ドゥルーズ,ジル] [Deleuze,Gilles]
1925年生まれのフランスの哲学者。69年からパリ第八大学教授。1995年死去
桧垣立哉[ヒガキタツヤ]
1964年生。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。大阪大学人間科学研究科教授。哲学・現代思想
小林卓也[コバヤシタクヤ]
1981年生。大阪大学人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪大学人間科学研究科助教(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
しゅん
14
ベルクソンをかなり強く意識しているドゥルーズによる読解。ベルクソンにとっての「直観」は厳密な方法である。空間ではなく持続(ベルクソンは「時間」と言わない)から考えることが、「直観」の大きな要件。アキレスと亀のパラドックスは、空間に基づいた嘘が誤りであることを示している。間違った問いと正しい問いを分別することが肝要。おおよそこの辺りが本書で書かれている。ベルクソンが二元論的というのは『記憶と物質』読めば理解できたけど、本書における二元論と一元論の位置づけはピンと来ていない。2024/08/08
gorgeanalogue
10
訳文は読みやすいと言えば読みやすいので、とにかく読んだけど、特に後半は難しい。4章「持続は一なのか多なのか」はよくわからなかった(特にアインシュタインとのくだり)。5章「分化の運動としてのエラン・ヴィタール」で知性と社会が出てくるのもわからない。追憶とイマージュの関係、潜在性についてはその輪郭がようやく分かりかけてきたか。2021/08/14
hakootoko
8
現在は、そうであったかもしれない過去の可能性のうちの一つの実現として存在するというのには回顧的錯覚がある。ベルクソンは、時間について語ったが、ドゥルーズは、それがいかなるものかを明かす。錯覚である時間を現実性と可能性で表現するのでなく、持続を現勢性と潜在性で表現する。現在は、作用し、有用であるが、存在せず、過去は、作用しないし、有用ではないが、存在する。というより、過去こそが存在そのものであると。現勢性と潜在性の差異によってベルクソンに潜在的なベルクソニズムを現勢化する。2022/12/01
鵐窟庵
8
新訳で読みやすい。持続、記憶、エラン・ヴィタールの五章。「持続」を「空間」と対置させ、前者は後者は分割すると本性が変化する純粋な内的継起であるのに対し、後者はいくらでも分割可能で変化しない純粋な外部性であるという「本性の差異」と「程度の差異」の二種類の差異に基づいた議論が展開される。また有名なベルクソンの円錐図の母線方向と回転方向の運動や、ドゥルーズおなじみの連続的・離散的や多様体の概念が敷衍される。一方、創造的進化の生物学のくだりは少し専門的には粗い。ただしANTやSR等現代思想につながる視座がある。2019/12/05
♨️
4
超越論的仮象を抑圧することで人間を非人間的なものへと開くこととして哲学が規定され、その方法として直観による持続と空間との分割が提示される。持続と空間ともまたそれらを辿っていくことで再度一元的なものに向かっていくが、それは最初の持続と空間とが混合したものとは異なったもの(「多様体」?)である。その一元的なものの現勢化・分化としてのエラン・ヴィタール、人間への進化が論じられながら人間のみが直観することが可能であることが見られる。「持続」を存在論的な概念にする3、4章が面白いが難しい…2023/02/04