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出版社内容情報
フーコー,デリダなど68年5月革命の思想を担った思想家たちの反人間主義を,自律的な主体を他律的な自我へと解体させる負の役割を担うものとして厳しく批判する。
内容説明
フーコー、デリダ、ラカンなど68年5月革命の思想を担った思想家たちの反‐人間主義の背後にニーチェ、ハイデガー、フロイトの思想を読みとり、それらを自律的な主体を他律的な自我へと解体させる負の役割を担うものとして批判する。「現代思想」の再検討。
目次
第1章 哲学する「60年世代」の理想型
第2章 1968年「五月」の諸解釈
第3章 フランスのニーチェ主義(フーコー)
第4章 フランスのハイデガー主義(デリダ)
第5章 フランスのマルクス主義(ブルデュー)
第6章 フランスのフロイト主義(ラカン)
第7章 主体への回帰
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Bevel
5
68年思想において、個人の権利の保護と人間主義の脱却が同時に主張された。そして、個人の意思もその発言の意味も重要ではないという個人による表現があった。歴史が主体から意味を追い出して実在の領域を保証する。純粋な痕跡としての記号、私が語るのではなくシニフィアンが連鎖するという形式、カテゴリーや真理の歴史化などが問題になる。筆者は、68年思想の他人に厳しく自分に甘い傾向を具体例をあげて指摘したのち、個人主義の範囲内で非人間主義を認めること、つまり、ある種の常識の通用する余地を残しておくことを求める。2015/05/19
毒モナカジャンボ
0
批判的フランス現代思想入門としてかなり良さそう。68年革命を偶然と種種雑多な経済的大学行政的政治的要因のごた混ぜの産物としつつも、そこには反-人間主義のテーゼが見られた。ここで時代の代表として取り上げられるフーコー、デリダ、ブルデュー、ラカンらは細部を見れば相互に背反する筈の思想を誤魔化しによって保存することで反-人間主義における奇妙な一致を見せた。その上彼らの思想は基本的にドイツ(マルクス、ニーチェ、ハイデガー、フロイト)の密輸入・焼き直しでしかないとする。筆者らは素直にカントを出してくるのが良い。2021/02/12
ねこみ
0
ポストモダンと称するものが、近代固有の貢献である人間の観念からすべての意味を奪うことによって奇妙にも退行の様相を呈すること2019/05/22