出版社内容情報
ランケ,ブルクハルト,ニーチェ,ドロイゼン,ディルタイ,ヴィンデルバント,リッケルトらの歴史主義の意義と限界を分析し,歴史哲学の新たな可能性を模索する。
内容説明
「歴史の終焉」論に行き着いたヘーゲルの歴史哲学は、彼の死後、批判され克服されてきた。が、後続の歴史主義自体も深い懐疑に彩られ、多くの問題をはらむ。ランケ、ブルクハルト、ニーチェ、ドロイゼン、ディルタイ、リッケルトらを分析し、歴史哲学の新たな可能性を探る。
目次
序論(ヘーゲル以後の歴史哲学)
1 思弁と科学のあいだの歴史哲学(レオポルド・フォン・ランケ;ヤーコプ・ブルクハルト;フリードリッヒ・ニーチェ)
2 歴史的理性批判としての歴史哲学(ヨハン・グスターフ・ドロイゼン;ヴィルヘルム・ディルタイ;ヴィンデルバントとリッケルト)
3 歴史主義の克服?
感想・レビュー
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てれまこし
6
「歴史」があるなんて当たり前に思えるが、それが一つの反省的自己理解の形式として確立したのは近代らしい。近代人は過去の人類から自己を区別することによって近代人になった。すなわち「歴史意識」がなければ「近代」もない。柳田国男が「史心」と呼んだのもこれだ。物事が変転するだけじゃない。認識主体自体が時間の流れのなかにある。永遠の真理なんてもうどこにもない。こうして還元不能な差異が救済される。だが「歴史主義的啓蒙思想」は相対主義や実証主義(狭い意味での)という知的不毛にも結びついた。史心を失った近代は自らも見失う。2020/06/10