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出版社内容情報
第16回日本翻訳出版文化賞受賞 過去2000年の西洋文学を対象化してその特性を構造的に明らかにしつつ,文学の研究すなわち批評のあり方に根源的変革を迫る。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
えりーぜ
1
狂喜と絶望。粗大とはいえ、これだけの網羅的な文芸類型の分析に対して、どれほど新しいことが言えようか。 しかしこの著作を前にして研究と発表の意欲を閉ざすことは、フライの目指すところではない。 この類型を基礎として、また絶えず批判的な視線でもってたゆまぬ努力を続けなければ。2018/11/08
井蛙
1
本書の目的は批評を文学の奴隷としてではなく、自律した科学であると主張することにある。議論は文学を閉じた構造とみなし、その構造を取り出すという手続きにのよって進められる。しかし閉じた文学などは実際には存在しないだろう。それは科学が閉じた言語ではないのと同様である。したがって私たちはプラトンの国家が詩人を追放するまでは大いに遊ぶべきであって、批評とはまさに主観と客観、文学と科学、現実と非現実の間のスリリングな綱渡りなのである。2018/01/04
未読太郎
0
1章で挫折。この論文はいやいやながら書いており、文章の随所にそれが見て取れるだろう、的なことが冒頭でいきなり書いてあるあたり、修論書いていた頃のことを思い出す。いつかまた挑戦したい。2017/01/12
遠野一義
0
文学を文学たらしめているものは何か。批評とは一体何か。そんな問題提起が成されたところから一気呵成に読了。倫理、歴史、神話、修辞と多様な面からの考察が成されているが、個人的には歴史と神話の部分が最も興味深く読めた。要再読。2015/01/13
ルートビッチ先輩
0
文学を仮設的言語構造として扱う。それに関する言及である批評は、ゆえに何らかの経験的現実や価値といったものについてのものではないはずだ。文学が仮設的であるというのは、それが何らかの現実自体を模倣するのではなく、何らかの言語構造を模倣しているに過ぎないからである(物理学は自然の学ではなく自然の知識についての学であるのと同様、文学もそうである)。そこで批評に可能なのはその言語構造がどのような配列を持っているのか、ということへの研究であって、それは作家個人などではなく、もっと大きな環境であるだろう。2014/12/28
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