内容説明
家でも、ホスピスでも、病院でもいい。それぞれのお別れ83。小さなホスピスの医師が見た看取りの現場。
目次
第1章 ほんとの死と向き合う(忘れられない看取り;いざとなったときの恐怖 ほか)
第2章 どこで、だれと死を迎えるのか(一艘の船に乗って;家では主人公 ほか)
第3章 どうサポートするか(立つ、座る、いきむ;口のなか ほか)
第4章 死に向かうときのからだ(しゃっくり;かゆみ ほか)
第5章 それぞれの後悔(ピザを焼く;告知についての後悔 ほか)
第6章 死別のあと(一人の悲しみ―だれにも語ることはないし、だれとも会いたいと思わない;みんなの悲しみ―話してみようか、なんだか聞いてほしいと思うとき ほか)
著者等紹介
徳永進[トクナガススム]
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、2001年、鳥取市内にホスピスケアを行う有床診療所「野の花診療所」を開設。1992年、独自の信念で地域医療をしている人に贈られる、第1回若月賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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りつこ
4
ほんっとに、亡くなり方は人それぞれ。出来れば本人も、家族も納得のいく最期を迎えられたら良いけど、何が納得のいく最期なのかも分からない。看護師が、そっと、いつものように、ちょっとした支えになれれば良いなと。2017/10/28
ayau
3
死は必然。満足に緩和ケアができていない現実を、読んで改めて実感。こういったホスピス病院がもっと身近にあってほしい。2014/03/30
しゃが
3
小さなホスピスの徳永医師が家でも、ホスピスでも、病院でもいい。それぞれの別れがあると語る。独特のユーモアの中に優しい語りに看取った家族のことも思い出し、涙が流れた。ご自身も末期がんのお父さんを自宅養生で過度の治療をしないで看取られ、お父さんの「今日は死なんけどな、だれかそばにおってくれ」の言葉は重い。最期は好物のお酒を吸い飲みで兄と3人で飲みかわし「うまい」と言い、亡くなった。羨ましいはヘンだが、どんがらない、まあるい死を思い、生きかたを変えてくれる。「手のひらは大切な気持ちを伝え、伝え合う臓器」は印象的2013/09/24
くろおに
2
死は避けることが出来ない。その死は人それぞれ家族それぞれ。同じものは無し。と当たり前のことを再確認。当たり前の事は忘れがちで時々なぞってみたくなる2015/07/31
ココアにんにく
1
再読。「心にぼっかり穴があいた」状態だった時に「穴は埋まらなくてもいい」という言葉を本書から頂いた。お世話になった訪問看護師さんにも同じ言葉をいただいてすごく心が軽くなった。再読でも色々思い出し涙したが、すこし冷静に、看取りや死について考えることができた。「死は決して点ではないこと」に共感。ばくぜんとした広がりを持つ時間帯。医学的には心肺停止、瞳孔拡散、しばらくして身体が冷たくなっていくまでの時間の帯という線のなかにある。2015/12/16