内容説明
ルソーの著作もアウグスティヌスのものも、明治・大正期には『懺悔録』というふうに翻訳された。悪いことをした昔を、人々の前に告白して、許しを乞い、今は後悔して清らかな生活を送っています、というわけだ。しかし、考えていくと、この「昔はワルだった」というのは、男の世界で、良くざんげ話のつもり(ふり)の自慢話として使われるのである。いくら何でも、アウグスティヌスが、自慢話のつもりで書いたとか、その無意識には自慢があった、とは言わないが、のちにこれを「輝ける悪徳」と呼んだ者がいたらしい。そして、私はこういう「昔はワルだったぜ自慢」というのが嫌いなのである。非常にそれは「男の子っぽい」ことで、私は自分が「ワル」だったことがないから、不快を感じるのである。けれど、それは少し羨ましいからかもしれない。
目次
悪人志願―「悪」と「俗物」をめぐって
第1章 「俺も昔はワルだったぜ」の系譜(「女を泣かせた自慢」の文学;「色悪」の文化 ほか)
第2章 「悪とはなにか」とは何か(「凶悪殺人犯」と「悪人」はイコールか;「犯罪小説」の落とし穴 ほか)
第3章 「俗物」とは何か?(誰もが、ある種の「俗物性」を有している;俗物がこだわるステイタスの在り処 ほか)
結語 いつか悪になる日まで
著者等紹介
小谷野敦[コヤノトン]
1962年、茨城県生まれ。本名読み「あつし」。比較文学者、作家。「禁煙ファシズムと戦う会」代表。東京大学英文科卒、同大学院比較文化専攻博士課程修了、学術博士。主な著書に、『聖母のいない国』(青土社、サントリー学芸賞受賞、その後河出文庫)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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