目次
第1章 「よし一本!」はストライク(昭和一八(1943)年一‐四月)
第2章 優勝一七時間後は見習工員(昭和一八(1943)年四月‐一二月)
第3章 沢村、景浦の大一番(昭和一一(1936)‐一三(1938)年)
第4章 学生野球の変質と粛清(昭和一三(1938)‐一七(1942)年)
第5章 プロ球界も時局の嵐(昭和一四(1939)‐一七(1942)年)
第6章 背番号なし、崖淵の「日本野球報国会」(昭和一九(1944)年)
第7章 昭和二〇年正月のプロ野球八連戦(昭和二〇(1945)年一‐八月)
終章 暗雲去り、青空に白球舞う(昭和二〇(1945)年一月‐二一(1946)年)
著者等紹介
山室寛之[ヤマムロヒロユキ]
昭和16(1941)年、北京に生まれる。九州大学卒。読売新聞社社会部記者、広報部長、編集局次長兼社会部長、読売新聞西部本社編集局長、東京読売巨人軍球団代表、読売ゴルフ社長などを歴任。日本エッセイスト・クラブ会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kikizo
2
内容は素晴らしいが、ランニングスコアの足し算間違いや表現のおかしなところなど校正ミスがちらほら。どの年代に読んでもらいたいのかはわからないが、若い年代向けに、せめて選手名に送り仮名を振ってほしかった。2016/11/20
イチゴタルト
1
国は野球を敵国スポーツとして圧力をかけてきた。中学野球や六大学野球も徐々に規制や応召で選手が減り続け休止する。プロ野球も応召される選手が増えながらもギリギリのところを攻め続たが休止をする。そして終戦すると各地で大会は開かれ、そしてアメリカの許可もあり神宮球場で初のプロ野球を開くこともできた。戦争で亡くなったプロ野球選手は数知れず、もし戦争が無かったらと思うが厳しい世の中を野球は戦ってきたからこそ今の人気があると思う。それにしても参考文献は多くよく調べられていて2300円は安いですぞ。2018/11/16