内容説明
1979年に春・夏連覇の偉業を成し遂げた尾藤公・箕島高元監督。1つの奇跡を演じることで、さらにもう一つの奇跡を生み出したその采配術とは―。
目次
第1章 最初の奇跡―北陽戦(1970年春。決勝)
第2章 2度目の奇跡/PL学園戦(1979年春。準決勝)
第3章 3度目の奇跡/星稜戦(1979年夏。3回戦)
第4章 4度目の奇跡/明徳戦(1982年春。2回戦)
第5章 5度目の奇跡/吉田戦(1983年夏。1回戦)
第6章 命の延長戦
著者等紹介
松下茂典[マツシタシゲノリ]
1954年8月30日、石川県金沢市生まれ。明治大学卒。ノンフィクションライター。2009年に書き下ろした『あの日、野球の神様は“背番号3”を選んだ―天覧試合 昭和34年6月25日』(ベースボール・マガジン社)は、「第一回サムライジャパン野球文学賞」のベストナイン(特別賞)に選ばれた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ばりぼー
16
作詞家の阿久悠さんは「奇跡は一度だから奇跡であって二度起これば奇跡ではない」という詩を残しましたが、尾藤公監督率いる箕島高校は、甲子園で5度延長戦を戦い、5度とも勝利をおさめています。私にとって最も印象深い試合は、1979年夏のあの対星稜戦です。16回裏二死走者なし、箕島の打者のファーストへのファウルフライを星稜の一塁手が人工芝との段差で転倒して落球、その直後に同点ホームラン…テレビ観戦の部外者ですら震えた試合でも、笑顔で見守っていた尾藤監督の器の大きさに、ただただ敬服するばかりです。2013/08/20
きのやん
0
高校野球の華は延長戦だと改めて思った。よって、タイブレーク制度導入には賛成できない。2015/05/26
ひで
0
高校野球で逆転のと言う枕詞はPL学園のものだと認識していたのですが、実は尾藤箕島の代名詞であるべきだと思いました。しかし、箕島の地域誌に書かれた『平氏の落武者、尾藤や嶋田…』という下りには驚かされました。箕島こそ侍ジャパンだったりしてですね2013/04/08
kikizo
0
尾藤さんの采配、あの笑顔に救われた生徒は沢山いただろう。練習時の厳しさと試合時の優しさ。この両面があってこその「奇跡」だったんだろう。勝つだけが高校野球じゃないと、改めて感じさせてくれました。2012/08/06