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ベースボール・マガジン社新書
蔦文也と池田高校―教え子たちが綴る“攻めだるま”野球の真実

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  • サイズ 新書判/ページ数 175p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784583102825
  • NDC分類 783.7
  • Cコード C0275

内容説明

甲子園での通算勝敗は37勝11敗。なかでも1982年夏の第64回大会と83年春の第55回大会で成し遂げた「夏春連覇」の偉業が燦然と輝く。残した成績もさることながら、高校球界に革命を起こしたという一点においても、いまだ強烈な輝きを放っている。「阿波の攻めだるま」こと蔦文也がもたらした圧倒的なパワー野球の源泉を、畠山準、水野雄仁、江上光治ら三人の教え子が探る。

目次

第1章 指導者・蔦文也と革命前夜(蔦家の5代目誕生;蔦が刻んだ敗戦の歴史 ほか)
第2章 教え子が綴る(畠山準(83年卒業))(甲子園での二度の雄姿;建築士か甲子園出場か ほか)
第3章 教え子が綴る(水野雄仁(84年卒業))(最初の出会いは鳴門球場;将来を見据えて池高を選択 ほか)
第4章 教え子が綴る(江上光治(84年卒業))(なんでもない町“イケダ”;キャプテンとしての器 ほか)
第5章 蔦の遺伝子は息づいている(“イワシ軍団”を率いて三度目の全国制覇;受け継がれる蔦のDNA ほか)

著者等紹介

畠山準[ハタヤマヒトシ]
1964年、徳島県生まれ。池田高校を経て、ドラフト1位で83年に南海ホークスに入団。91年、横浜大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)を経て99年に退団。現在は横浜ベイスターズ業務部専任部長シーレックス担当を務める。82年夏の甲子園では、チームのエースとして活躍。優勝の立役者

水野雄仁[ミズノカツヒト]
1965年、徳島県生まれ。池田高校を経て、ドラフト1位で84年に読売ジャイアンツに入団。87年には10勝をマークしてリーグ優勝に貢献した。引退後は読売ジャイアンツのコーチを挟み、現在は評論家として活躍中。高校時代には82年夏、83年春連覇の主軸を務めた

江上光治[エガミコウジ]
1965年、徳島県生まれ。池田高校を経て、84年に早稲田大学に進学。卒業後は(株)日本生命に入社し、現在は徳島支社徳島シティ営業部営業部長を務める。高校時代は主将としてチームをけん引し、83年春の優勝に導いた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

くりのすけ

6
高校野球史に残る名監督のことを、畠山、水野、江上という蔦監督の教え子が分担して執筆した作品である。それぞれに共通しているのは、「蔦さんは物凄く怖かった」「豪快である」ということである。ただ、全編を通して、蔦さんの哲学や人生論などはなく、教え子の回顧録のようなものになっている。2012/04/19

koi

4
しゃべったものを文字に起こしたという感じの本でした。江上さんの話は他の2人よりも客観性とまとまりがありました。2014/10/02

コホーー

2
一時代を築いた、あの池田高校に関する本なのに、内容が薄く感じた。教え子の回顧録といった内容なので、蔦監督の理念などを読み取りたかった私としては多少不満が残った。蔦監督の厳しい監視の下、キャッチボールや守備練習はそこそこに、徹底したバッティング練習、パワー強化で、練習時間3時間半ほどの県立高校を全国一に。印象深いのは、水野が「戻ってからの練習がキツイから、少しでも長く甲子園にいたかった」と語っていたこと。彼らにとっては、帰ったからといって休めるわけではなく、また地獄の日々が始まるだけなんだね。2012/07/12

YOS1968

2
畠山、水野、江上という池田高校の弟子が、恩師である蔦監督の思い出を語る。今思えば理不尽に厳しく、蔦さんは大酒のみで、けっこうむちゃくちゃなところがあるのだが、皆、慕っているところが微笑ましい。特に江上の章は感慨深いものがった。2010/10/26

さばとら

1
池田高校の蔦監督を教え子が語る。凄い選手が集まって強いチームが出来るまでが、長く大変な道で続けることの大変さが感じられます。もっと分析的な内容だったら良かったです。2013/11/27

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