平凡社新書<br> 一遍 捨聖の思想

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平凡社新書
一遍 捨聖の思想

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  • サイズ 新書判/ページ数 256p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784582858518
  • NDC分類 188.692
  • Cコード C0215

出版社内容情報

中世に巨大な影響力をもった時衆と一遍の思想。その本体を浄土教の歴史の中に位置づけて探る。信をも捨てて念仏へと向かう他力思想。

《目次》
はじめに
第一章 浄土教のルーツを求めて
浄土教の歴史/「阿弥陀仏」の原語と起源/「極楽浄土」の観念
中国における浄土教の誕生/日本浄土教の源流「善導流」/異端としての善導

第二章 日本における浄土教の展開
日本への仏教伝来/仏教の広がり/「浄土の教え」の始まり/平安の浄土教
源信と『往生要集』/院政期の浄土教/聖と沙弥の念仏/法然──比叡山黒谷から
専修念仏と法難/「革命」としての法然浄土教/浄土教の広がり/難問としての親鸞
玉日と恵信尼/親鸞思想の核心

第三章 一遍と時衆
伊予松山の武将・河野通広の次男/十一不二の頌/熊野成道
六十万人頌・六字無生の頌/踊り念仏/時衆・時宗/鎌倉へ・京へ/一遍の死
二祖他阿弥陀仏真教/真教の遊行/知識帰命/遊行の相続/組織者・真教
真教以後の時衆教団/時衆諸派/時衆の社会的活動とその文化──陣僧/葬送
遊行上人尊観・徳阿弥と客僚・客寮/時衆と同朋衆・芸能者

第四章 「一遍上人語録』を読む
一 『一遍上人語録』の成立
二 身を観ずれば水の泡──別願和讃
三 独むまれて独死す──百利口語
四 身命を惜しまず?本願に帰入し──誓願偈文
五 一切の事を捨てゝ申念仏こそ──消息法語
「捨ててこそ」/「出離の要道」
六 となふれば仏もわれもなかりけり──偈頌和歌
七 門人伝説
三心といふは名号なり──『語録下二』
今の名号は能所一体の法なり──『語録下七』
念仏が念仏を申なり──『語録下十六』
自力他力は初門の事なり──『語録下十八』
称名の外に見仏を求べからず──『語録下三十五』
我等は下根の者なれば、一切を捨ずば──『語録下四十四』
有心は生死の道、無心は涅槃の域なり──『語録下六十』
念仏の下地をつくる事なかれ──『語録下六十九』
まよひも一念なり、さとりも一念なり──『語録下七十三』
名号は義によらず心によらざる法──『語録下八十三』
知りて知らざれ、還て愚痴なれ──『語録下八十七』
法師のあとは、跡なきを跡とす──『語録下九十八』

あとがき
参考文献一覧


桜井 哲夫[サクライ テツオ]
著・文・その他

内容説明

「心」にとらわれているのは「生き死に」に迷う道であり、無心が涅槃の境地である。はからいを放棄するだけではなく、はからいの放棄すら放棄すること。名号が名号を称えている―日本浄土教が行きついた一遍の思想。

目次

第1章 浄土教のルーツを求めて(浄土教の歴史;「阿弥陀仏」の原語と起源 ほか)
第2章 日本における浄土教の展開(日本への仏教伝来;仏教の広がり ほか)
第3章 一遍と時衆(伊予松山の武将・河野通広の次男;十一不二の頌 ほか)
第4章 『一遍上人語録』を読む(『一遍上人語録』の成立;身を観ずれば水の泡―別願和讃 ほか)

著者等紹介

桜井哲夫[サクライテツオ]
1949年足利生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、東京経済大学コミュニケーション学部教授。専攻は近・現代社会史、社会思想史、現代社会論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ホシ

13
一遍の本をしっかり読んだのは、これが初めて。真宗が「理屈っぽい」のに対し、時宗は「神秘主義的」という印象を持った。親鸞も一遍も「他力で救われる」点は共通する。2人の違いは唯円の質問を考えれば分かりやすいか?唯円「念仏しても踊躍する気持ちが起きません。早く浄土に行きたいとも思いません。これは、どうした事でしょうか?」/親鸞「そういう者を救うと誓ったのが阿彌陀佛だよ。」/一遍「人間がああだ、こうだ考える必要はないよ。」2017/10/16

月をみるもの

6
読みにくい。聖絵を見に行ったほうが、なんぼかわかりやすい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%81%8D%E8%81%96%E7%B5%B52017/10/09

Hiroshi

5
時宗の住職が書いた本。清浄光寺(遊行寺)に行くので読んだ。時宗は、宗祖が一遍上人であり、踊り念仏が有名だ。来年は二祖真教(他阿)上人の700年忌でもある。仏教は、「信じる」だけのキリスト教・イスラム教とは違い「修行」が必要だ。だが、念仏系の真宗と時宗では「称名」だけで良いという。インドで生まれた仏教は、紀元頃に大乗仏教ができ、中国に伝播した。善導が中国浄土教を大成した。中国仏教の主流ではない。「凡夫が阿弥陀仏の浄土に生まれることができる」という教えだ。阿弥陀仏は「心の中」にあるのではなく、「実在」すると。2018/09/23

→0!P!

1
鳩摩羅什「浄土」、謝霊運「極楽を浄土と呼ぶ」。念仏はあくまで死者のためのもので初めは不吉なものだった。それが浄土教のもとで重要な修行として位置を高められる。(当時は異端扱い)。浄土教が念仏には心を込める必要があると唱えたのに対し、一遍は、単に唱えさえすればよいと主張した。極めてラディカルなこの教えは、万人が阿弥陀によって救われるはずだ、という信仰が基礎になっている。そこに善悪はない。ある者が念仏を唱えるのは阿弥陀がそう願ったからなのであり、阿弥陀に選ばれた、ということなのだ。極めて強力でカルト的な人類愛。2022/03/28

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