内容説明
日本では中世まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死は穢れとして、忌み避けられていたからだ。そんななか、人々が弔いを託したのが仏教である。葬式と、墓石を建てる習俗の起源を探りながら、日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を探る。
目次
第1章 現代の葬式事情
第2章 風葬・遺棄葬の日本古代
第3章 仏教式の葬送を望む人々
第4章 石造の墓はいつから建てられたか
第5章 葬式仏教の確立
終章 葬式仏教から生活仏教へ
著者等紹介
松尾剛次[マツオケンジ]
1954年長崎県生まれ。東京大学大学院博士課程を経て、現在、山形大学人文学部教授。東京大学特任教授(2004年度)。日本中世史、宗教社会学専攻。1994年に東京大学文学部博士号を取得。日本仏教綜合研究学会前会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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やいっち
67
浄土真宗の開祖である親鸞は、「それがし閉眼すれば、加茂川に入れて魚に遊ぶべし」といった言葉を残している。 つまり、「自分が死んだら死体は加茂川に流して魚の餌にしろ」と言っているわけである。 死体(死骸)は、野に、川に捨てるのが当たり前だったわけで、親鸞にしろ、自分だけを例外扱いされようとは思わなかったわけだろう。 死体どころか、重篤な病に罹ったなら、貴族の館の従者でも、屋敷のそと、河原に放棄されたという。 2011/10/08
ネギっ子gen
60
【葬式仏教は、鎌倉仏教者たちによって、仏教式の葬式を望む人々に対して行なわれた革新的な活動であった】いつから墓石を建て葬儀をするようになったのか? そんな習俗の起源を探りながら、五輪塔や板碑に刻まれた銘文や骨蔵器の銘文なども参考に、死の文化史や死の思想史というべきものを明らかにした書。「はじめに」で、<日本仏教は、ともすれば「葬式仏教」と批判されがちである。その言葉は、日本の仏教者とくに僧侶が、葬式と法事にかまけ、高い戒名料や葬儀代をとって、人びとの救済願望にこたえていないことを揶揄するものである>と。⇒2024/03/13
きいち
39
ちゃんと見送りたい。昨年父を見送ったとき、確かに、考えてみればなぜそうするのか不思議なさまざまな葬礼の数々も、唱えられるけど意味はちゃんとはわからないお経も、その気持ちにしっかり応えてくれた。生きる者の求めにしっかり応えたのが鎌倉期の遁世僧や律宗僧であった、ということはとてもよく理解できた。◇では、その前はどうだったのか?求める葬送儀礼が変わったのに、それに応える者がいなかったということ?逆に、担っていた民俗社会が壊れた?なんだか謎が深まった気がする。2020/01/21
funuu
19
そもそも釈迦は、己の死に際して葬儀は在家の人々にまかせ、弟子たちは釈迦の葬儀にかかわらずに修行に励むことを遺言した。すなわち、仏教者は本来、葬儀に関わるものではなかった。死穢を恐れるあまりに、死にかけた貧しく孤独な僧侶や非血縁の使用人は、外あるいは邸外に連れ出され、ひどい場合には道端や河原などに遺棄されることが行われれた。葬式は社会的な行事から家族内の行事に移りつつある。2016/09/30
舟江
11
官費で調査した時の資料を下敷きに、書いたものだという。そのせいでもないだろうが、信じがたい部分もあった。また「法然らの活動・思想・影響力は、彼らの時代、社会的にはほとんどマイナーであり、15世紀以降になって、ようやく社会的に大きな影響力をもつようになったことが明らかにされている」とあるが、法然・親鸞の時代にはほとんど社会的には、影響がなかったのは事実だと思う。 2017/07/18