出版社内容情報
1936年に宇野千代が創刊したモード誌『スタイル』。海外への憧れに溢れた雑誌は、戦争の足音とともに廃刊への道を歩み始める──。昭和初期の誌面から日本のモード形成期をひもとく。
内容説明
宇野千代が編集長を務めたモード誌『スタイル』。1936年、『ヴォーグ』が描くモダンな女性像への憧れから生まれた雑誌は、「挙国一致」の波にのまれ、わずか5年で姿を消した―。戦争前夜に生まれたモード誌から、モダン都市文化の興亡をひもとく。
目次
プロローグ モードの発信と、モダン都市のネットワーク
第1章 『スタイル』を『ヴォーグ』のように 1936年6月~1937年8月(パリへの憧憬、ハリウッドへの憧憬;『ヴォーグ』で知る、パリのデザイナーの仕事 ほか)
第2章 日中戦争下のファッション・化粧・髪型 1937年9月~1938年3月(田中絹代が国防婦人会大船分会会長に;「お洒落コント“恋人出征”」の涙と笑い ほか)
第3章 後退戦―国家総動員法、されどハリウッド女優 1938年4月~1939年9月(国家総動員法と、第一次・第二次近衛声明;『ヴォーグ』のようなモードを、ただし「時流」への配慮も ほか)
第4章 第二次世界大戦勃発 興亜奉公日 モードの衰退 1939年9月~1940年7月(第二次世界大戦勃発と、開戦前のパリの「デザイナーの夢」;映画法による外国映画の輸入制限と、検閲による封切り不許可 ほか)
第5章 七・七禁令の衝撃、新生活指導雑誌への変貌 1940年7月~1941年9月(マジノ線突破のニュースを聞いて、崔承喜がボルドーから帰国する;七・七禁令(奢侈品等製造販売制限規則)の衝撃と、再生品・代用品 ほか)
エピローグ 「大東亜戦争」下の女性誌
著者等紹介
和田博文[ワダヒロフミ]
1954年横浜市生まれ。東洋大学名誉教授。東京女子大学で副学長・比較文化研究所長・丸山眞男記念比較思想研究センター長を歴任。専門は文化史・比較文化・日本近現代文学。ロンドン大学SOAS、パリ第7大学、復旦大学大学院の客員研究員や客員教授を務めた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Go Extreme