出版社内容情報
コロナ禍の前には、年に120ものライブを行い、自らの思いを歌っていた中川五郎。デビューから50年を超えた今も一線で活躍する彼が綴る「自伝的にっぽんフォーク史」。
内容説明
ぼくは、何者?「受験生のブルース」から54年―、時にパンク・ロッカーへ、音楽評論家へ、小説家・翻訳家へと揺れながらも、プロテスト・ソングの極北を目指す。中川五郎が個人史で綴る日本フォーク50年の記録。
目次
1 最初の一歩
2 人前で歌うということ
3 日本フォークの風雲
4 時代と向き合う中から
5 1971年、東京へ
6 フォークから遠ざかった15年間
7 再び人前で歌う
8 新たなるプロテスト・ソングへの険しい道
9 ピート・シーガーと出会って50年
著者等紹介
中川五郎[ナカガワゴロウ]
1949年、大阪生まれ。1960年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲作りや歌手活動を始め、1967年、「受験生のブルース」で注目を集める。1970年代以後は音楽ライターとしての活動も開始。さらに、1990年代以後は小説の執筆や翻訳に注力。1990年代の半ば頃から活動の中心を歌うことに戻し、日本各地でライブを行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kawa
33
当時のフォーク・ソングの熱烈ファンではなかったが、あの頃の様子が懐かしく蘇る。LP「25年目のおっぱい」は手元にあって愛聴した時期もあるけれど、結構、家庭人としては身勝手だったんだ。私も身に覚えあってほろ苦い。信州で活動していた田中研二氏も、ちょこっと登場。彼のLPは未だに手元に。「長居をしすぎたようだ」のリフレインは、今も時々、頭の中で飛び交うことがある。2022/02/16
りょうけん
7
<P> 最近は昔ほど頻繁にライブ観覧に出向くことがなくなった。近隣で開催されるライブには足を運ぶが以前ならよく行っていた東京や大阪神戸などで開催される贔屓シンガーのライブには行かなくなった。と云うかコロナバイラス禍津のせいでライブ自体が開催されなくなってしまった時期もあったし。 2022/02/25