平凡社ライブラリー<br> 笑い/不気味なもの―付:ジリボン「不気味な笑い」

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平凡社ライブラリー
笑い/不気味なもの―付:ジリボン「不気味な笑い」

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  • サイズ 文庫判/ページ数 399p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784582768367
  • NDC分類 135.4
  • Cコード C0310

出版社内容情報

『笑い』と『不気味なもの』は「反復」という現象を対象にして出会い分岐する。二つの論考を接続するとき、新たな読みが召喚される。

内容説明

反復される動作や事態、人形のような人間や人間のような人形…同じ事柄について語りながら、哲学者と精神科医は別の方向に進む。滑稽なものと笑いへ/不気味なものと狂気のほうへ。離れていくと見える二つの思考は、じつは深みで交差する。ジリボンの論文を補助線に二つの思考をつがえるとき、現れてくる新たな読みの地平。的確な新訳で。

目次

笑い―おかしさの意義についての試論(アンリ・ベルクソン)(おかしさ一般について形のおかしさと動きのおかしさおかしさの伝播力;状態のおかしさと言葉のおかしさ;性格のおかしさ)
不気味なもの(ジークムント・フロイト)
不気味な笑い(ジャン=リュック・ジリボン)(夢と笑いの隠れた照応;ベルクソンの方法;びっくり箱、あやつり人形、雪だるま;狂気との関係;モリエール、越境する喜劇;滑稽さと不気味さ;滑稽さとナンセンス;「粋」という補助線;ベイトソンの視角;カフカ的宇宙、そして;フロイトの「不気味なもの」;二重化と一体化;笑いという生の領域)

著者等紹介

ベルクソン,アンリ[ベルクソン,アンリ] [Bergson,Henri]
1859‐1941。19世紀末から20世紀前半のフランスを代表する哲学者

フロイト,ジークムント[フロイト,ジークムント] [Freud,Sigmund]
1856‐1939。オーストリアの精神医学者。精神分析学の創始者

原章二[ハラショウジ]
1946年、静岡県生まれ。パリ大学博士(哲学)。現在、早稲田大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

くろねこ

7
「不気味なもの」を読む必要がありこちらで再読。以前読んだときは「笑い」の方が初読だったので面白く、フロイトが結局去勢不安に持って行くところに不満足を覚えた。今回はベルクソンとフロイトが異なる方向に行った理由が特に残った。哲学的な思考はどこか距離がある。身をおいて侵蝕されながらそこから考える臨床的なあり方との違いだろうか。ジリボンの最後の言葉「笑いは不安のネガフィルムであると言うことが出来るだろう。だからこそわたしたちは笑いを真剣に受け取る必要がある。」ユーモアに変えることで生き延びる人の強さのことを思う。2020/01/14

かす実

7
ベルクソンによると滑稽なものに対する笑いは、対象が既知の型に当てはまる(=機械的なこわばりがある)とき、それを矯正しようという社会的意図を持って生まれるそうです。つまり、笑いは純粋な行為ではなく、社会の総意による実利的な行為である!また喜劇は他の芸術と違って、限定ではなく普遍を描こうとするという指摘も興味深い。さてこの「笑い」と「不気味なもの」とは、同一あるいは反転の関係にある。前者は枠からの脱出であり後者は枠の破壊・不在。この理論を使って「カメラを止めるな!」を読み解くと、めちゃくちゃ面白いです!2018/08/31

カタクチイワシ

3
ベルクソンが笑いについて分析した「笑い」、フロイトが不気味さについて分析した「不気味なもの」、その両者を踏まえジリボンが笑いと不気味さの違いを分析した「不気味な笑い」の三本が収録されている。哲学的、抽象的な内容に四苦八苦する部分も多かったがなんとか読了。ベルクソンパート、笑いは社会の中でそこからはみ出る行為を矯正する役割だという。同時に、最後に強調される、笑いは「善良であるはずがない」という重要性。またジリボンの「枠」の話はあちこちに適応できると思う。興味深い箇所が非常に多い。また読み返したい。2020/01/11

ねこ

3
これは買い2017/06/28

o

2
壮大な人生の深いところでの探究という哲学の類にはこの本は属さないのだろう これは的確な人間の深いところでの分析であると思われる ここで面白いのがベルクソンの芸術の記述である 114でこの分析の中心的議題となる喜劇を一般的なものを目指す唯一の芸術であり、そこから芸術は分類を脱するものとされる しかしこの唯一だった一般性を目指す芸術は1917年のデュシャンの泉からの現代アートによって拡張されたのではないか 1900年初版のこの本から類型と一般性を介して深みに達するという現代アートの本質が見られるのではないのか2021/08/10

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