出版社内容情報
繰り返される政治家の失言と前言撤回問題から日本人の「タテマエとホンネ」思考の起源を辿り、戦後の欺瞞を問う日本論のベストセラー
内容説明
「タテマエ」と「ホンネ」という対語が戦後の発明品であることを明らかにするところから、この対の抱え込むニヒリズムの背景を、戦後が私たちから「信念」を切断してきた契機へと、さらに近代日本が負った内・外の分断の経験へと、そして西洋近代の公的なものと私的なものの構造転換へと深く掘り進め、問題を重層化していく。そのとき、この国で思想が可能になるために、一つの文化的な記憶が呼び出される―絶品の思考曲線!
目次
第1部 戦後の嘘―タテマエとホンネとは何か(失言と戦後;タテマエとホンネの考え方;タテマエとホンネと戦後日本;ホンネの底にあるもの;全面屈服の隠蔽)
第2部 近代日本の嘘―内と外の分断(大日本帝国憲法と信教の自由;「内と外の分断」;思想をとりだす視線;外から内への貫入;「内と外」から「公と私」へ)
第3部 近代の嘘―公的世界と私的なもの(ヨーロッパにおける公と私;日本における公と私;公共性と私的なもの)
第4部 日本の嘘―「日本の思想」のために(全面屈服者たち;べしみから思想へ)
著者等紹介
加藤典洋[カトウノリヒロ]
1948年、山形県生まれ。批評家、評論家。早稲田大学名誉教授。東京大学文学部仏文科卒業。国立国会図書館勤務を経て、明治学院大学、早稲田大学で教えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
38
97年『敗戦後論』で論じられた、戦争の死者の声におけるタテマエとホンネの人格分裂の議論を前半にある問題提起の議論として引き継いでいる。本書は最初に新書として刊行されているが、同じ99年に出版された『戦後的思考』で、私利私欲の上にどのようにして公共性を築くのかという問題が後半で論じられている構成になっている。本書が非常に読み辛いのは、著者の代表的な仕事である戦後問題の上記2冊の間に書かれ、両著作を生煮えの状態で論じているからだ。日本の「無思想」と思われている現象が、これでもかという程に丹念に解釈されている。2023/06/19
森
11
図書館で借りた。ホンネとタテマエを軸に日本人の思想を読み解く、なかなか面白い本です。2016/03/14
中年サラリーマン
8
面白い本です。政治家の失言(昔からあるのですね)を取り上げて面白い考察をしている。なぜ失言を撤回しても恥ずかしがらないのだろうという疑問から、単純なホンネとタテマエ論ではなくそこには信念を曲げているのに曲げていないかのように考えられる思考装置が存在する。そして、それが機能していることをを失言した本人だけでなく日本社会も受け入れているのではなにか?そして、それを可能にしているものは・・・と議論が続きとても楽しかった。この著者のほかの本も読んでみようか。。。2017/09/01
一郎二郎
4
タテマエとホンネという言葉ができたのは敗戦後だった。それは占領軍という圧倒的な優位者を前にしての劣等者のニヒリズムであった。すでに大日本帝国憲法「信教の自由」において、許される自由は心の中だけで外部の自由は国法に従うべしとされた時、日本人には内と外というオーウェル式二重思考しかなかった。そもそも圧倒的優位な国の周辺国として日本には古代から屈従的抵抗の伝統がある。芸能「べしみ」がそれだ。ヘーゲルの主人に対する奴隷の優位性の論理により、我々が屈従している事を理解する時、優位者よりも深く公共概念を更新し得る。2025/08/27
ドウ
4
何故政治家の失言は容易に撤回されるのかという疑問から始まった「ホンネとタテマエ」論。ホンネは本心=信念とは別であり、本心はある種のニヒリズムである。日本における公私は上蓋を公、その下を私とするものであるが故に、黒船や1945を機に公がすげ替えられ、その下の全てが徹底脱帽(即ち転向)する。権力に対抗するには、相手と同じ言葉を遣わない沈黙という手段がある。しかしそこから1歩進んで、私利私欲の上に公共性を構築すべき(以上内容)。人文学研究のお手本のような本。2017/08/06