内容説明
「日本文化」「フランス文化」といった「国民文化」は、どのようにして生まれたのだろうか?本書は、「文明」「文化」のもつイデオロギー性を暴き、「国民文化」が、近代国家が創出した「新しい伝統」にほかならないことを明らかにした「文化の政治学」である。
目次
1 日常のなかの世界感覚
2 ヨーロッパのオリエント観
3 日本における文化受容のパターン
4 文明と文化―その起源と変容
5 文化の国境を越えるために
6 補論―一九九〇年代をふり返って
著者等紹介
西川長夫[ニシカワナガオ]
1934年朝鮮生まれ。京都大学文学部文学研究科博士課程修了。現在、立命館大学国際関係学部教授。主な著書に『地球時代の民族=文化理論』(新曜社、1995年)、『国民国家論の射程』(柏書房、1998年)、『フランスの解体?』(人文書院、1999年)など。主な編著書に、『世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成』(柏書房、1999年/共編)、『20世紀をいかに越えるか』(平凡社、2000年/共編)など。主な訳書に、ルイ・アルチュセール『マルクスのために』(平凡社、1994年/共訳)、リン・ハント『フランス革命と家族ロマンス』(平凡社、1999年/共訳)など
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感想・レビュー
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宮古
3
私は日本が好きでおそらく自分で過大評価をしている自覚があったので、安吾の『日本文化私論』には驚かされた。日本文化はものに宿るのではなく、人に宿る。人があって文化がある。「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らない。必要ならば法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい」という安吾、ショッキングすぎる。タウトの『日本文化私論』は私に近しくて、それが穴だらけということに気づかされる。多角的に日本を見て、感情論じゃなく日本を好きになりたい。2014/09/14
isao_key
2
2章に読み終えたばかりのサイード『オリエンタリズム』についての考察がある。サイードの言うところのオリエンタリズムについて解説と問題点について述べられている。だがそれよりも面白かったのが、ブルーノ・タウトの『日本文化私観』と、坂口安吾の同じ題名のタウトへの批判書『日本文化私観』について比較している5章であった。タウトの賞賛する寺院や名跡に対して安吾は、京都の本願寺について落ち着きがなく俗悪だと切り捨て、法隆寺も平等院も焼けても全然困らない。必要ならば、法隆寺を取り壊して停車場を作ればいい、とまで言っている。2012/08/19
Master
1
国民国家批判の流れから、国民文化を「創造」されたものに過ぎないと批判する。しかし、これはその時点で歴史的な価値が認められていたモノや精神を「国民文化」として体系化したのであり、そうした意味では「伝統の創造」と言えるが決して捏造されたものではない。また、国民国家成立以前の時代を「世界市民主義」の時代と評しているが大いに疑問である。上野千鶴子の解説では西川の「脱国家」志向について触れられているが、そこで国家の代替として示される「社会」なるものは国家以上のフィクション性を孕んでいるが、そこは棚上げされている。2026/04/14
MrO
1
ひとまず、一回目の読書は、こちらの準備不足もあるんだろうが、何をしたいのかよくわからなかった。安吾のところは面白かった。しかし、タウトの周辺の人たちの俗物ぶりはちょっと笑えた。2021/08/29
ぷほは
1
以前に読んだときは冗長かつ迂遠な議論が続くようで早々に棚に戻したのだが、後々妙にその冗長さや迂遠さが印象に残た。たぶん気宇壮大であったり淡白であったりする議論の図式からどこかで逃れようとするフラット化の磁場が90年代に始まっており、上山春平の議論を基にした図などがその象徴であるように読めた。自分もつい最近そう書いてしまう経験があった。スケールの大きさと議論の空回りがセットで進むような言説の曲率が国民国家論とその続編であるグローバル化論にはあり、この角度を見極めるためにはやはり三宅雪嶺や陸羯南を読むべきか。2021/07/31
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