出版社内容情報
1937年、日本の量子力学の「慈父」ボーアが来日した。観光で目にした富士山に自身の「相補性原理」の象徴的な姿を発見するなど、意義深かった旅を、息子ハンスの手記を基に再現する。
内容説明
「相補性原理」が物理学の枠を超え、文化的な意味合いを強めた背景には、ボーアが日本で触れた自然や人々の暮らしぶりがあった―。
目次
第1章 ニールス・ボーアの半生―一八八五年‐一九三七年
第2章 仁科芳雄、ボーアを日本へ招く
第3章 ボーア一家の来日―一九三七年四月七日‐十八日
第4章 東京帝国大学での連続講義―四月十九日‐二十八日
第5章 日光から仙台へ―講演旅行1 四月二十九日‐五月六日
第6章 霊峰富士と古都―講演旅行2 五月七日‐十九日
第7章 帰国後のボーア
著者等紹介
長島要一[ナガシマヨウイチ]
1946年東京生まれ。コペンハーゲン大学異文化研究・地域研究所DNP特任研究教授。日本・デンマーク関係史のほか、森鴎外、アンデルセンの研究者・翻訳家としても知られる。第3回森鴎外記念会賞、第31回日本翻訳出版文化賞、2002年コペンハーゲン大学最優秀教師賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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takao
1
p.28 1927年9月:ボーア、相補性原理を提唱(電子が粒子であるか波動であるかをいうことは不可能であり、その確率を語ることで満足しなければならない。) p.12 富士山は頂上から裾野まで全貌を現すことは稀だが、同時に想像することで全体を把握できる。ボーアは、富士山は相補性を具現しているかのように語った。 2017/05/31
渓流
0
タイトル通り、まさに、ボーアが日本で何を見たのか、ボーアに代わり筆者が書いた滞在記。もう少し、物理的な内容化と思ったが、文系の学者に、物理内容の記述は難しいか。2014/06/15