出版社内容情報
毛利一族の結束の実態とは? 元就の遺した「三本の矢」の逸話で有名な毛利一族。輝元当主期における嫡子秀就と養子秀元、吉川広家・広正らの関係から、その実態を明らかにする。
内容説明
「関ヶ原」敗者の、生き残りを懸けた熾烈な争い。秀就への継承と本宗家の権威復活を図る当主・輝元。吉川広家や毛利秀元・就隆といった新たな「三本の矢」は本宗家を支えたのか?
目次
はじめに―見直される毛利一族の結束
第1章 秀元への分知と関ヶ原合戦
第2章 防長減封
第3章 江戸期初頭における毛利氏の城
第4章 有力国人への圧迫
第5章 毛利一族の愛憎
第6章 毛利一族の結束
終章 宗瑞死没後の毛利一族
著者等紹介
光成準治[ミツナリジュンジ]
1963年大阪府生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府博士課程修了、同年「日本中・近世移行期大名領国における社会構造の研究」で博士(比較社会文化)学位取得。九州大学大学院比較社会文化研究院特別研究者。専攻は日本中・近世移行期史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ようはん
25
従兄弟である秀元を養嗣子にするも実子の秀就が生まれた為に秀就を後継とする毛利輝元の判断は豊臣家にダブって見える。秀元は秀次と同じ運命は辿らず家中の重鎮として支えるが、輝元・秀就親子と上手くいかず同じ一族の重鎮である吉川家とも対立し後々まで三本の矢の教えに反した毛利一族の対立は続く羽目に。関ヶ原の減封後、家臣の粛清に踏み切り家中の統制に尽力した輝元は無能という訳ではないが秀就の誕生は家臣の妻を強引に奪い側室にした結果で秀就を甘やかし駄目藩主にし秀元との対立要因を作る等、輝元が諸悪の根源という印象だった。2022/12/04
MUNEKAZ
24
関ヶ原後の毛利家のゴタゴタを描く。もとは国衆連合であるだけに発展期は調子よいが、豊臣政権下で拡大が止まり、関ヶ原の敗戦で大減封を喰らっては…ということで、御家騒動の危機である。当主・輝元の権威低下に加え、新たな「毛利両川」と見込んだ吉川広家と毛利秀元は激しく対立して派閥抗争を始める始末。ただ輝元も広家・秀元のバランスを取りつつ、大身の家臣を粛清したりとやることはやっている。偉大なる元就の遺訓ではなく、幕府からのサポートが毛利家の崩壊を防いだというのは皮肉な結論。幕府と藩の共犯関係が、太平の世を生んだのだ。2022/11/14
フランソワーズ
11
両川時代から、毛利氏家中の不和は歴史ファンなら有名。そして元春・隆景が没後、広家と秀元が宗家を支える毛利氏の内情を信頼できる史料から読み解いている。さらに、譜代や国人層の統制に苦慮した輝元の姿、それとは裏腹にどさくさに紛れて、家中を粛清してゆく輝元をも論述している。祖父元就や二人の叔父、関ヶ原の戦いで減封されために評価が低い輝元だけど、決して暗君ではなかったと思えた。2023/08/06
A.Sakurai
5
関ケ原の毛利の動向について,毛利氏研究者の本を読んでみる.ただ本書は関ケ原以降の毛利氏内情がメインで,関ケ原当時のことは短くまとめている.吉川の内通のほかに毛利輝元が関わっていた経路の存在が推定される書状が紹介されている.やはり別の折衝があったようだ.輝元は遅くできた実子(秀就)に家督を継がせるため,予め定めた後継者(秀元)との関係が複雑化し,後々まで政治工作をしている.太閤秀吉と同じパターン.これが直接関係しているかはともかく,毛利家内部が一枚岩ではなかったことが関ケ原対応の遠因にあるのだろう.2023/12/05
katashin86
4
長州藩成立期の毛利氏当主輝元・かつての後継者秀元・父の兄弟筋吉川氏の三角関係を追った一冊。関ヶ原で敗戦し大減封を食らったのち、「御家騒動」といっても派手な対立・抗争があるわけでなく、ただ三者がギクシャクした綱引きを続けながらなんとか近世大名になろうとしていく姿はとても興味深いが、200年後の「幕府に対峙する西国の雄藩」としての姿と程遠くもある。2023/03/20