内容説明
オシムの教えは、すでに日本サッカーの父・クラマーによって実践されていた!語り継がねばならない日本サッカーの原点、そして日本代表史上もっとも熱い人間ドラマがここにある―。世界を驚かせた1968年の「日本化」サッカー。
目次
第1章 クラマー来日(名指導者クラマー招聘の紆余曲折;デュイスブルグでの出会い ほか)
第2章 赤鬼改革(名コンビ誕生―長沼健監督・岡野俊一郎コーチ体制へ;オシム「日本化」との共通点 ほか)
第3章 結束(東京オリンピックの快挙と誤算;日本サッカーの未来を変えた5つの提言 ほか)
第4章 栄光(決戦の地へ;大和魂はアステカの空に ほか)
著者等紹介
加部究[カベキワム]
1958年生まれ。立教大学法学部卒業。1986年メキシコワールドカップを取材するために、スポーツニッポン新聞社を3年で退社。以後フリーランスのスポーツライターに転身した。「週刊サッカーダイジェスト」「エルゴラッソ」などでコラムを連載している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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anco
6
代表チームの育成及び、日本サッカーリーグ基礎作りに貢献し、日本サッカーの父と呼ばれるクラマー氏のお話。東京オリンピック、メキシコオリンピックの頃のお話です。大和魂や残心といった言葉を用いてチームを鼓舞し、日本らしいサッカーをと唱えたクラマーの教えは、日本サッカー界の躍進の基盤となっており、今後も受け継がれていくべきものであることが感じられました。2015/01/18
takao
2
ふむ2023/12/27
オカヤン
2
東京オリンピック、メキシコオリンピックの影の功労者、ドイツ人指導者、デットマール・クラマーのお話。いかに日本が強くなって行ったか?のプロセスがまとめられている。日本はもとから、スピードがあったがテクニックがなかった。クラマーは、スピードについていける、テクニックの強化からはじめる。また、釜本、杉山選手、日本人サッカー部関係者、長沼、岡野などの優秀な指導者も紹介される。最後にクラマーから一言「選手のプロ化より、コーチをプロ化する方が先決、なぜなら、ひとりの優秀なコーチは、22人の優秀な選手を育てる」すごい。2013/12/26
コサトン@自反尽己
1
※読み終わり日は適当。2008年の秋かと。 日本サッカーの父とも言われたデッドマール・クラマー氏。 彼が率いた当時のサッカー全日本(日本代表)との出会い、経緯、戦いぶりを、サッカーライター加部究氏が時系列に綴っています。 日本化を訴えたオシム氏。しかしそのオシムが日本に監督として来る以前から、日本らしいサッカーを、と唱えた指導者がクラマー氏でした。 今なおご健在であるクラマー氏の日本サッカーにおける足跡を知りたい方には、是非とも読んでいただきたい一冊です。 【書】
上高野
0
デッドマール・クラマーさんの名前は、サッカーをしていた私にとって、懐かしくなじみ深い。 メキシコオリンピック(1968年)のサッカー競技で、日本はアジア勢初の銅メダルを獲得。当時の選手達も何人かが世を去った今、クラマーさん、岡野俊一郎さんらが存命のうちにこの本が上辞されたのは、記録としても意義深い。 1975年、クラマーさんはB・ミュンヘンの監督としてUEFAチャンピオンズカップで優勝。その際のインタビューで「(人生)最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときだ。」と答えたという(本書より)。2008/09/26