出版社内容情報
65歳の春。晴朗で健全で、そして平常心で決行されたひとつの自死。著者は自殺を肯定し、本書を書き、それを実践して自死した。2008年に単行本として刊行し、出版界に衝撃を与えた話題の本がついに新書化。「積極的な死の受容」の記録がここに。
目次
新葉隠―死の積極的受容と消極的受容(三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテス、それぞれの不可解;なぜ彼らは死んだのか?;「未練」と「苦痛」と「恐怖」;死の能動的受容と受動的受容;自然死と事故死と人工死;武士道と老人道;弊害について;キューブラー・ロス―キリスト教徒の苦境;補助的考察;雑感と日常)
著者等紹介
須原一秀[スハラカズヒデ]
1940年、大阪生まれ。社会思想研究家。2006年4月、自身の哲学的事業として自死を遂げる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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里愛乍
39
「晴朗で健全で、平常心で決行される自死がありうる」と、須原氏はそれを実行した。その事実は揺るぎなく、どんな言葉よりも説得力がある。もしかしてずるいのかもしれない。なぜなら本書は同じ言葉でも観念的に考えている人が書いたものとは重みが違う。ただ、私が一番知りたい氏の「死の理論」は、どうやら体験を以てしか理解する事は出来ないようだ。いくら本書を読んでも手掛かりすら掴めない。ここまでの覚悟を見せて下さったのにそれが口惜しい。自分が「死」に対して観念的である限り、それこそ死ぬまで知ることは出来そうもないのだろう。2017/12/23
ichiro-k
13
自分自身が5年前に事故に遭い「寝たきり状態(食事・排泄など生きるだけの基本的行為はすべて介護が必要)」を経験し、病室の天井を長い期間見つめ「いっそのこと死んでしまったほうがマシだ」と体感した(観念的ではない)だけに共感を持ってしまった。単なる「厭世主義者」「虚無主義者」の主張には思えない。突然の事故と同様に、最終的に死に至る老化のプロセスは残酷な場合が多い。大多数の人間の死は「眠るよう」には迎えないのは真実だと思う。致命的な疾病を患った場合の肉体的苦痛はもちろん、精神的な苦痛は想像を絶する。本書ではあまり2011/05/01
ミヒャエル・安吾
12
単行本の時に読んで、いい本だったので、新書を手に置いておきたいと思い、駆けずり回って中古本を入手。死の教科書にすべきとも思うほどの良書。これと『生の短さについて』とセットで死と生の両方が揃う。2017/03/30
ybhkr
5
うーん、著者がこの本を書いて出版した時点で内容とのダブルスタンダードを感じてしまう。この本を50歳くらいのときに書き上げて、遺言書みたいに金庫に閉まって、65歳のなんの変哲もない日に自殺を実行してその後にこの原稿が見つかったのなら素直にすごいと思えるけど。まあ、小指切りたがりの人たちの例とは同じ気がするのでまるっきりちがくもないかな。晩年のキュープラー・ロスに関してはビックリと納得と半々。信心深い新興宗教のおはあちゃんも同じこと言ってたし。自殺に失敗して自殺すらできない障害で生きていくリスクは?とも。2015/08/26
tunehiro
5
ソクラテス(間接的)、三島、伊丹の自死・自決の理由の解釈については納得できるが、「新葉隠」としての自死の考察に関しては、全面的には賛同できない。それでも、自己の哲学的業績を全うするために自決を実践することは、語られる言葉以上の覚悟が必要であったはすだ。2010/05/22
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