出版社内容情報
信長と茶の湯の関係を綿密に明かした歴史書。
茶の湯を巧みに利用しながら戦国の世を上り詰めた信長。新たな武家文化を創造してゆく過程を、関連の茶道具を紹介しながら描く。
天才的な戦国武将として頭角を現し、天下統一を目前にして本能寺に倒れるという劇的な生涯をおくった織田信長。その戦略・戦術や、武人としての信長像が取り上げられ描かれることは多い。
▼一方で、信長は茶の湯をはじめとする文化にも関心を示し、その後の文化史、とくに茶の湯の歴史を塗り替えた人物といえる。名の知られた茶道具を召し上げる「名物狩り」や、召し上げた茶道具を家臣や関係者の統制に利用する「御茶湯御政道」などはよく知られているが、信長の美的センスと文化への深い理解がなければ、成立しなかったであろう。
▼信長が本格的に茶道具に接したのは、足利義昭を奉じて上洛した頃から本能寺で倒れるまで、わずか14~15年である。この間に、茶の湯を武家儀礼として定着させた信長は、文化的指導者としても優れたリーダーシップを発揮した。
▼本書は、信長ゆかりの茶道具や茶会の様子を紹介しながら、新たな文化の創造者としての信長に迫る。
●はじめに
●第一章 一五六八(永禄十一)年◆信長 三十五歳 上洛 茶器との邂逅
●第二章 一五六九(永禄十二)年◆信長 三十六歳 名物狩り
●第三章 一五七〇(永禄十三=元亀元)年◆信長 三十七歳 二度目の名物狩り
●第四章 一五七一(元亀二)年◆信長 三十八歳 初めての茶会
●第五章 一五七二(元亀三)年◆信長 三十九歳 茶道具の贈答
●第六章 一五七三(元亀四=天正元)年◆信長 四十歳 妙覚寺の茶会
●第七章 一五七四(天正二)年◆信長 四十一歳 「蘭奢待」の切り取り
●第八章 一五七五(天正三)年◆信長 四十二歳 千宗易への手紙
●第九章 一五七六(天正四)年◆信長 四十三歳 茶道具の下賜
●第十章 一五七七(天正五)年◆信長 四十四歳 信忠への茶器譲渡
●第十一章 一五七八(天正六)年◆信長 四十五歳 安土城年頭の茶会
●第十二章 一五七九(天正七)年◆信長 四十六歳 珠光茶碗の召し上げ
●第十三章 一五八〇(天正八)年◆信長 四十七歳 佐久間父子の茶会とその追放
●第十四章 一五八一(天正九)年◆信長 四十八歳 秀吉への茶道具下賜
●第十五章 一五八二年(天正十)年◆信長 四十九歳 本能寺の茶会
●結びにかえて-織田信長にとって茶の湯とは何だったのか
●あとがき
内容説明
信長が名物とされた茶道具に本格的に接するのは、1568年(永禄11年)10月、足利義昭を奉じて上洛した直後のことだ。大和の大名松永久秀と、堺の商人今井宗久から茶道具が進上されている。本能寺で倒れるまでに、この間わずかに14~15年。信長は茶の湯の徹底的な分析と合理性をもって、文化的な指導者としてリーダーシップを発揮し、新たな茶のあり方を創造したのである。茶道家から見た天下取りへの道。
目次
一五六八(永禄十一)年 信長三十五歳 上洛 茶器との邂逅
一五六九(永禄十二)年 信長三十六歳 名物狩り
一五七〇(永禄十三=元亀元)年 信長三十七歳 二度目の名物狩り
一五七一(元亀二)年 信長三十八歳 初めての茶会
一五七二(元亀三)年 信長三十九歳 茶道具の贈答
一五七三(元亀四=天正元)年 信長四十歳 妙覚寺の茶会
一五七四(天正二)年 信長四十一歳 「蘭奢待」の切り取り
一五七五(天正三)年 信長四十二歳 千宗易への手紙
一五七六(天正四)年 信長四十三歳 茶道具の下賜
一五七七(天正五)年 信長四十四歳 信忠への茶器譲渡
一五七八(天正六)年 信長四十五歳 安土城年頭の茶会
一五七九(天正七)年 信長四十六歳 珠光茶碗の召し上げ
一五八〇(天正八)年 信長四十七歳 佐久間父子の茶会とその追放
一五八一(天正九)年 信長四十八歳 秀吉への茶道具下賜
一五八二(天正十)年 信長四十九歳 本能寺の茶会
著者等紹介
江口浩三[エグチコウゾウ]
1948年京都生まれ。KSR(京都茶道文化研究所)代表。茶道文化史の研究に携わり、茶道を指導するかたわら、大学、美術館、カルチャーセンターなどの講師をつとめる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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